「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

批判されて、それを活かすことが出来ない人、できる人

 

 過去に起きた凶悪事件などの裁判記録が廃棄される問題がありました。この問題の対応を有識者などから批判された最高裁がその調査結果と再発防止策を盛り込んだ報告書を公表したそうです。「後世に引き継ぐべき記録を多数失わせてしまったことを深く反省し、事件関係者を含め国民の皆さまにおわびする」と謝罪したといいます。

歴史的資料の意識薄く 「特別保存ルール、機能せず」―現職判事ら自省・記録廃棄:時事ドットコム

「歴史的に重要な資料という意識が薄かった」。裁判記録の廃棄について、現職の判事からは裁判所全体としての問題点を自省する声が相次いでいる。(出所:時事ドットコム

 記事によれば、あるベテラン判事は、「組織として大切な記録を扱っているという意識がなかった」と話しているといいます。

 また、別の判事は「廃棄されたのは、裁判記録というだけでなく歴史的に重要な資料だった」と悔やむ一方、「記録はプライバシーの塊で、多くは廃棄が必要なため保存の意識を持ちづらい」と明かし、その上で、裁判所では裁判官の独立を重視するあまり、組織としての意識醸成が難しいとも説明し、「特別保存のルールがあったのに、機能していなかった。組織力のなさが記録廃棄につながった」と述べたそうです。

 個人としては判事という専門職を全うできても、裁判所という組織に属する人としては意識が低いということでしょうか。また、そうした人物だけの集まりとなると組織は機能しなくなるともとれそうです。

 何も裁判所だけの問題ではないような気がします。ここ最近よく耳にするようになった企業の不祥事も、根っこは同じところに問題があるのかもしれません。

 

 

論語に学ぶ

陳の司敗(しはい)問う。昭公 礼を知るか。孔子曰わく、礼を知れり、と。孔子退く。巫馬期(ふばき)に揖(ゆう)して之を進ましめて曰わく、吾 聞く、君子は党せず、と。君子も亦党せるか。君 呉に取り、同姓たり。之を呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん、と。巫馬期以て告ぐ。

子曰わく、丘(きゅう)や幸いなり。苟(いやし)くも過ち有れば、人 必ず之を知る、と。(「述而第七」30)

 陳国の司法大臣が「魯の国の君主昭公は礼法が分かっておられるのか」と尋ねた。孔子は「そのとおりです」と答えます。孔子が退出されると、司法大臣は弟子の巫馬期に挨拶し「私は、君子 教養人は仲間をかばうことはしないと学んできた。しかし、君子のはずの孔子も俗人と同じく仲間かばいをするのか」と尋ねました。

 さらに「昭公は呉国から妻を迎えたが、魯と呉とは「姫」と同姓である。礼法上、同姓は婚姻できないので、呉姫と名乗るべきなのに、呉孟子と称している。昭公を礼法をわかっているというならば、礼を知らぬ者などない」といいました。巫馬期はこのことを孔子に告げた。すると、孔子は「私は幸いである。もし私に過失があったときは、人がそれを知って教えてくれる」と語ったといいます。

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 孔子ほどの人物でもあっても、過って認識していることもあるのでしょう。それでも、周りの人たちがその過ちを教えてくれ、その声を素直に受け入れて、過ちに気づける。これを孔子は幸福なことといます。

 自分の周囲にそういう人たちを呼び寄せるようにしておくべきなのかもしれません。

 

 

公私混同

 しかし、実社会においては難しいことでもあるのでしょうか。岸田首相の長男で首相秘書官の翔太郎氏が公邸内で忘年会を開き、親族と記念写真を撮るなどした行動が週刊文春で報じられ、与野党から批判されています。

「本人も分かってない」与野党から厳しい声…岸田総理の長男・翔太郎秘書官の“公邸忘年会” 更迭要求に言及避ける | TBS NEWS DIG (1ページ)

自民党関係者:「1回秘書官を辞めさせて、ゼロからやり直さないと。何をしたら悪いのか本人もわかってない」(出所:TBS NEWS DIG)

 首相は「私も私的な居住スペースにおける食事の場に一部、顔出しをしました」と明かし、それ自体は特段問題ないと強調したうえで、迎賓や執務に使う公的な場所での写真撮影は「不適切だった」と発言したそうです。また、「危機管理の点から今後どうあるべきか考えないといけない。そういったことを勘案し厳重注意した」と述べ、野党側が要求した更迭については言及を避けたそうです。

「公私混同も甚だしい」、背景に「世襲」があると批判する声もあります。また、「権力の私物化」、公的な空間が岸田一族の私的な空間になってしまったとの厳しい指摘もあります。

 父として子に対する情は何も悪いことではないはずです。世襲国家を肯定する訳ではないですが、子を一国のリーダーにと願うのも理解できないことではありません。しかし、それをおっぴろげにやるのはどうなのでしょうか。

 認めるべきではないのでしょうが、それでも押し通すなら、せめて、自律の大切さ、身の処し方を教えるべきのような気がします。そうでないと、「この親にしてこの子あり」となり、徳に欠け、品格が乏しい人物となり、国民から嫌われるだけではないでしょうか。

 

 

世襲国家

「日本は世界有数の世襲国家だと思いますが、やはり負の側面の方が大きいのではないかと感じてしまいます」と、ある人が指摘しています。

地方選出と言っても、世襲の多くが都心育ちで、一般国民との生活とはやはりかけ離れています。安定した地盤があるため、国民からのプレッシャーに鈍く、「権力」に固執しがちです。固定したメンバー(同じ属性の人たち)が政権中枢にずっといれば、驕り、腐敗するのは自然なことです。それが世代にまたがって続く。変化のできない日本を象徴しているかのようです。選挙(多数決)によって選出されていますが、民主主義に沿っていると言えるのか疑問が沸きます。(出所:日本経済新聞

世襲国家」というと、どうしても〇朝鮮を彷彿させます。そんなイメージを醸していいのでしょうか。こうして過ちを指摘してくれているのだから、素直に受け取るべきような気がします。

 首相の強みであった「聞く力」もすっかり退化したのでしょう。周囲の声が聞こえなくなると、人は独善的になったりするものです。権力の私物化が繰り返されないよう、見て見ぬふりをしてはならないのかもしれません。

 

「参考文書」

大半は機械的に廃棄 裁判記録「国民の財産」―最高裁「不適切対応に起因」:時事ドットコム

岸田首相長男・翔太郎氏の公邸忘年会、与野党が批判 - 日本経済新聞

公邸忘年会「岸田一族のための空間か」 原武史さんが問う世襲の弊害:朝日新聞デジタル