「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

円安なのに米製トマホークミサイルの配備を検討する政府、求められる学び直し

 

 米国製巡航ミサイル「トマホーク」を導入することを政府が検討しているそうです。「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有を念頭にしたもので、すでに米国側に打診しているといいます。

米製トマホーク導入案浮上 反撃能力の整備念頭―政府:時事ドットコム

 円安で輸入物価が高騰している折、なぜ、いとも簡単にこうしたことができるのか甚だ疑問です。経済については円安メリットを活かすため、製造業の国内回帰を奨励し、一方で、国内で開発が進む「12式地対艦誘導弾」の改良版をすっ飛ばし、米国製に飛びつくようでは整合性がありません。ただ好き勝手放題に見えてしまいます。

 

 

 日本経済新聞によれば、2022年度の外国製の防衛装備品などに対する外貨建ての支払いが、円安により当初想定より1574億円上振れしたそうです。また、この差額を埋める補塡金が枯渇し、第2次補正予算案で追加する方向といいます。

円安で歳出1500億円上振れ 補塡金枯渇、補正予算で追加: 日本経済新聞

 防衛費には何か計らいがあるのでしょうか。

 政府の果たす役割は、国民の生命を守り、自由を守り、財産を守る、それで十分といわれます。何も防衛力を増強するだけが、生命を守るといことではないでしょう。

 頻発するようになった異常気象による激甚災害、夏と冬が極端になり、極度の高温や極寒の冬が頻発するようになり、電力不足が心配になる事態が度々起きるようになっています。新型コロナのような感染症の問題もあります。これらの解決には有効な代替策もなく、防衛力よりはるかに優先順位が高いもののではないのでしょうか。外交努力で解決できるものでなく、放置すれば国民の生命が危機にさらされるだけです。

 防衛力に盲信する今の政府では国を守ることが危ういのではないでしょうか。

 

 

「学び直し」、「リスキリング」が求められるようになりました。デジタルなどの技術を身につけ、成長分野への労働移動が促されています。

 政治家たちが自ら率先して、学び直しすることが求められていそうです。

 教育の目的は、自分をしっかりコントロールできる人間に育て、人生における義務や仕事を果すために、相応しい人間を育てることにあるといわれます。

「義務」は英語では、「duty」とか「obligation」に訳され、前者は良心、道義心、正義などから果たさなければならないことを指し、後者は法律や約束などに拘束されてしなければならないことをいいます。

 それゆえに、教育においては、振舞いや礼儀作法、自己開発に自己抑制が求められていると、サミュエル・スマイルズはセルフ・ヘルプで、そう説きます。

 

 

論語に学ぶ

樊遅(はんち)従いて舞雩(ぶう)の下に遊ぶ。曰わく、敢えて問う、徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁ぜんことを、と。

子曰わく、善いかな問いや。事を先にして得ることを後にするは、徳を崇くするに非(あら)ずや。其の悪を攻(せ)めて人の悪を攻むること無きは、慝を脩むるに非ずや。一朝(いっちょう)の忿(いか)りに其の身を忘れて、以て其の親に及ぼすは、惑えるに非ずや、と。(「顔淵第十二」21) 

 弟子の樊遅が舞雩壇附近へ遊覧に出かけたとき、「この際、おたずねしますが、どのようにしますと、私めの人格を高め、心の中の悪を正しく、迷いを分別することができましょうか」と質問します。

孔子は「なかなかいい質問だ」と答え、「まず実行、その酬いは後、これが人格を高めることではなかろうか。己の悪は責め、他人の悪を咎めない。これが心の中に隠れている悪を正しくすることではないであろうか。嚇(か)っとなって怒り、我を忘れて争い禍いが親にまで及ぶ。これが迷いではないであろうか」と教え諭したといいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 樊遅は「勇士」と称せられるほどの人ですが、論語においてはいつも勘の悪い質問を孔子に投げかけています。人それぞれに見合った教えが必要ということなのかもしれません。そうすることでそれぞれの個性を伸び、また、それによって弱さを補うこともできるようになっていくのではないでしょうか。

 

 

 孔子の生きた古代では、六藝といって、「礼」「楽」「射」「御」「書」「数」が知っておかねばならない教養とされていたといいます。当時もそれぞれに専門家がいたことは「論語」に登場する人々によって明らかです。また、孔子は「君子は~、小人は~」との表現で両者を対比し徳を諭しています。

 時代が進めば知識の集積が進み、求められる教養に変化はあるのでしょう。今の政府はデジタルという専門知識の習得を国民に求めています。みなすべて一律にということではないのでしょう。もう少し伝え方の工夫があってもいいのではないかと感じます。徳を知らない政府がゆえになせるわざなのでしょうか。

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 勇士と称されたということから想像すれば樊遅は「射」「御」の専門家だったのでしょうか。「勇」ばかりが勝って、節度や自己抑制が働かなければ、世が乱れることは、ここ最近の世界の動きからして知ることができます。専門知識の習得は必要なことなのでしょうが、そればかりにこだわらずに、他の教養もおろそかにせずにその中から、人間性を高めることが必要なのかもしれません。

 政府がもう少し経済に詳しく、自己抑制ということを知っていたなら、こんなに苦しい状況になることもなかったのかもしれません。