「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

崖っぷちの日本経済、なぜ欧米と異なる独自政策を採用するのか

 

 日本経済が崖っぷちに立っているという意見が日増しに増えているように感じます。しかし、不思議なもので企業業績はそんなに悪化しているわけでもないといいます。円安メリットが働くからでしょうか。一方で、物価高騰によって賃金は目減りしています。節約ムードになって当然なのかもしれません。何か不自然で釈然としない状況が続いています。

 欧米では極度なインフレを嫌い、景気を減速させてまでその抑制に動いています。物価高で人々が苦しい状況に陥ることを阻止しようとしているのでしょうか。単純明快、シンプルな施策のように見えます。インフレは「悪」で、その抑制こそが「義」ということでしょうか。国民の生活が安定してこその経済活動という暗黙の了解があるのかもしれません。

 犠牲を伴うことなのでしょうが、そうすることで、状況は改善するということをみなが理解しているのでしょう。

 

 

 リアリストからすれば、円安でもうかっている、それは良いことではないかとなるのでしょうか。正当な手段か否かの議論は棚に上げ、結果として儲かっているのだから、企業はもっと賃金をあげるべきということになるのかもしれません。

 しかし、物価高騰がコストを圧迫し、これ以上のコストアップに耐えられそうにもない、その上、この先世界経済の減速の影響もあるのだから、そうは楽観的になれないという別のリアリストの顔がもたげたりする、欧米のような「善悪」「正邪」の判断が曖昧になっているのかもしれません。 

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「偉大な人間は、高い目標を仰ぎ見ながらも、正直で、世の役に立つ仕事をして生活の質を得ることを軽蔑することをしない」、「正直な製造業者にとっては、製造したものが”ホンモノ”であることに名誉と名声がかかっている」「商売をするときにはたっぷりと盛り上げて、あふれるくらいという精神で、客に奉仕しなさい、最後はきっち損はしないから」、そんな言葉が「イギリス流 大人の気骨」という本には並んでいます。

 欧米のリーダーたちはこうした気質を身につけているのかもしれません。

我々の社会という闘技場には、最前列に立たなければならないというプレッシャーが瀰漫(びまん)し、絶えず闘争が繰り広げられています。そんななかに巻き込まれると、無私無欲な人間になろうという気高い決心は踏みつぶされ、善良なよい人間が圧しつぶされるのは必然のなりゆきです。そして、たとえ見掛け倒しでも、ぎらぎらと輝く世間的な成功を見せつけて他人をまぶしがらせてやろうという野心をもつ輩のせいで、どれほどの不毛な努力と不幸な破滅がもたらされてきたか、いまさら申し上げるまでもないでしょう。(引用:イギリス流大人の気骨 サミュエル・スマイルズ

 現在の日本を言い表しているように感じます。

 

 

「独創的な人間は基礎を築くことに時間をかける」とスマイルズは指摘し、「常に仕事し、常に先に進み、常に収集している」といいます。現在を知り、それをより良くするために、常に仕事をするということでしょうか。

 こうした素養を身につけたものが、欧米ではリーダーとなっていくのかもしれません。翻って日本、ぎらぎらと目を輝かせ、手段を問わずに安易な成功を求める輩がうようよとしているままなのかもしれません。真に世の役に立つ仕事をしようとは考えはなく、ただひたすら個人の利益を優先し、利用できるものは何でも利用する。五輪不正やその他企業の不正をみれば、肯けることではないでしょうか。

論語に学ぶ

学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(まど)う。(「為政第二」15)

 学ぶばかりで思考がなければ、混乱した焦点のない学問となって、それをどう活かせばよいのかを知ることはない。反対に思考ばかりで「人類の知恵」を学ばなければ、独善的になってしまうと意味します。

 古人の模倣を通過しないで優れた新しさはありえず、ただ性急に独創性に憧れるの危険と孔子は諭しているのではないかといいます。

 とかく「ガラパゴス化」することが多い日本には耳の痛い言葉なのかもしれません。

 

 

 名経営者といわれた稲盛和夫さんが8月にお亡くなりになりました。数々の功績を残され、また海外において信奉する人々があったといいます。

稲盛和夫さん逝去後、世間の反応に私が違和感を感じた理由【江上剛コラム】:時事ドットコム

稲盛さんはいつも、「人として正しいか」と自らに問いかけていた。それを「利他」という言葉でも表現されている。「利他経営」である。(出所:JIJI.com)

 稲盛氏の遺志を引き継いでみるのがよいのかもしれません。学んで思考すれば、案外と欧米の思想に近いとの気づきがあるかもしれません。

「人として正しいか」という言葉がもとになって独創性が生まれれば、日本独自のガラパゴスということもなくなるのでしょう。間違ってもぎらぎらと目を輝かしていた人物を模倣してはならないのでしょう。どうも政府は未だそうした人を崇拝しているようですが。

 

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

「参考文書」

遅れて来た野田佳彦追悼演説 党派超えた「共通の基盤」示す: 日本経済新聞