「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【お金と中庸の徳】アリババなどテクノロジー企業の独占行為を規制することは悪なのか

 

 中国当局が幅広い業種で締め付けを強化する中で、中国市場は「悪いことが起こり続けマイナスの驚きが起き続けている」と、サマーズ元米財務長官が述べ、「外国人投資家にとってのリスクは高まりつつあり、中国共産党による民間企業への一段と大きな介入が同国政府にとって重要な優先事項に浮上する中にあっては、リスクは高まり続けざるを得ない」と指摘したそうです。

 中国ではアリババグループやテンセント・ホールディングス(騰訊)など大手テクノロジー企業への規制強化が進められ、香港のハンセン指数は今週、弱気相場入りしているとブルームバーグが報じています。

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サマーズ氏は、投資家が「不安を感じるのは正しいことだ」と語る。

間違いなくよりリスクの高い環境であり、人はそうした環境にある場合、はるかに高いリターンを求める」と指摘した。 (出所:ブルームバーグ

 そんなに中国当局悪いことをしているのだろうか。欧米でもGAFAの独占行為を規制しようと動く。一方、中国がアリババやテンセントの同じような行為を素早く規制すると、大きな介入という。自分の利益のことしか考えていないのだろうかと疑問を感じる。

 

お金の目的

お金が人生の主たる目的であるなど考えることは、絶対にしてはならないことですが、取るに足りないものという訳ではありません」、とサミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」の中で説きます。

お金は確かに物質的な満足、社会生活における幸福をもたらすものであるという面が大きいですが、だからといって、哲学者気取りでお金を馬鹿にすることは禁物です。

(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P119)

「お金儲けに異常な執着を持っている人は、美徳とは正反対のもの、強欲、不誠実、無節操、エゴイズムなどの性格がみごとに顔に刻まれています」とスマイルズはいいます。さらに、浪費、刹那主義などの悪徳に染まって、人から託されたお金を悪用する輩もいるともいいます。 

君子は食に飽くるを求むることなく、居(お)るに安きを求むること無し

「君子は食に飽くるを求むることなく、居(お)るに安きを求むること無し。事に敏に、言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂う可(べ)きのみ」と論語「学而第一」14にあります。

「君子 教養人は美食を求めたり、豪華で心地よい邸宅に住みたいなどとは思わない。なすべき仕事はすばやくこなす。しかし、言葉は少なくして出しゃばらない。もし意見があれば、まずは優れた人格者を訪れ、正していただくようにする。こういう人こそ好学の士と言うのだ」との意味です。

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 孔子が生きた古代から、酒池肉林にふけり暴飲暴食する輩がいたそうです。2500年の時を経ても人の欲求には大きな変化がないということなのでしょうか。

 古代より中国では、暴飲暴食は悪徳され、それにふける特権者は暴君とされたといいます。

金銭に罪はない 

 人情の弱点として、どうしてもモノの方に目が行きやすいため、精神面を忘れてモノ偏重になる弊害が出てくる。これはやむを得ないだろうと、渋沢栄一は「論語と算盤」でいいます。

 さらに、「考え方が幼稚で、道徳もあまり持っていないような者ほど、この弊害に陥りやすいものだ」と指摘します。

 

かつてある新聞にアリストテレスの言葉として、「すべての商売は罪悪なのだ」という意味の一文が引かれていたと記憶する。つまり、すべての利益と損失を伴うものに対して、人は欲望に迷ってしまいやすい、すると、真っ当な生き方からあは外れてしまう場合も出てくる。だから、こうした弊害を戒めるために、このような過激な言葉を使ったのだろう、と。 (引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P98)

 「まっとうな富は、正しい活動によって手に入れるべきものである」と栄一はいいます。

人情の弱点として、利益が欲しいという思いがまさって、下手をすると富を先にして道義を後にするような弊害が生まれてしまう

それが行き過ぎると、金銭を万能なものとして考えてしまい、大切な精神の問題を忘れ、モノの奴隷になってしまいやすいのだ。こうなると、もちろん責任はその人にあるせよ、金銭のマイナス面を警戒して、そのプラス面まで警戒するようになり、再びアリストテレスの言葉を繰り返す羽目に陥るのだ。(引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P99)

中庸 アリストテレス倫理学

 アリストテレス倫理学では、徳の中心になる概念で、「過大」と「過小」の両極端を悪徳とするそうです。

「徳」は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとしたといいます。

 孔子も同様に中庸の徳を重視します。

中庸の徳為る、其れ至れるかな。民 鮮(すく)なきこと久し」(「雍也第六」29)

忌憚のない直情径行を夷狄(いてき)の風として卑しみ、俗をおどろかすような、社会において突出するような行為をきらって、庸徳庸行を尊ぶ。しかし、人々は中庸を欠いて久しい......

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 どうも世の中ギクシャクしているように感じます。真意は別なところにあるのかもしれませんが、サマーズ氏の発言にしろ矛盾を感じずにはいられません。

 お金の使い方が間違っているのでしょうか。