地球温暖化のことが気になります。大雨の被害をたびたび目にするようになったからかもしれません。こうしたことが、この先頻発するかもしれないといわれているようです。この問題に目を背けることができそうにもありません。
効率性と利便性ばかりを追求していたことも、過去のことになったりはしていないでしょうか。みなが同じようなことばかりやろうとすれば、異端であったり、尖らなければ独創的ではない、そんな風に思われていたのではないでしょうか。
「今は特別な時代で、どんな分野の研究・開発も、すべて”カーボンニュートラル”につながっています」、「脱炭素というマーケットが間違いなくあり、やるべき方向性、やらないといけないことは決まっています」と、ノーベル賞を受賞した吉野彰氏が話されています。
さらに「世界中が共通の目標に向かっているのですから、当然独創性が必要になりますね」といいます。
今までは1人がとがっていれば何とかなったのかもしれませんが、これからは独創的なことを考える人と手を組むことも必要です。
「コイツと組んだら普通では思いつかないようなことができる」というような人を見つけるために、視野を広げておかないといけないでしょうね。 (出所:日経ビジネス)
「反対されないような研究は本物ではない」
「そもそも、簡単に上司や経営陣が納得するような研究は、既に遅いと思った方がいい。他から、何かしらその研究に関する情報が入っているということですから」。
「本物こそ、なかなか理解してもらえないものです」とも吉野氏はいいます。
与に学ぶ可きも、未だ与に道に適く可からず
与(とも)に学ぶ可(べ)きも、未だ与に道に適(ゆ)く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権(はか)る可べからず
と論語「子罕第九」30にあります。
いっしょに学問をすることはできても、同じ考え方をもち同じ道に進みうるとはかぎらない。同じ道を行くことはできても、同じように学問に成就して、自分の思想を確立できるとは、かぎらない。いっしょに思想を確立しても、特定の問題について適切な処置をせねばならぬ場合に、同じ行動をなしうるとはかぎらない。 (出所:論語 桑原武夫)
人が協力して何かをなすことはなかなか難しいことなのかもしれません。
しかし、今までの人類の進歩を振り返れば、決して不可能なことはないのでしょう。単独で何かを成し得た人などおらず、そこには必ず協力者が存在します。
「知は力なり」なのか
「真理を知るという営みは、善と知を結びつくことで、高潔な人格を作り上げるのでなければなりません」、とサミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説きます。
しかし、健全な習慣と心の原則によって守られないことには、エゴ丸出しの悪徳に塗れることになります。知的には優れているけれど、性格がまるで歪んでいる人間に、日常の生活のなかで出会うことがありますが、その理由はこのへんにあるのです。
このような人間には学校で学んだ知識がつまっていますが、現実に対処できる知恵はまったくありません。模倣すべきモデルというよりは反面教師というべきでしょう。 (引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P144)
「知は力なり」といわれますが、それと同時に知は狂信であり、暴君であり、野心でもあるとスマイルズはいいます。さらに知識だけで、賢い方向付けをしないことには、悪い人間をさらに危険な存在にするだけといっています。
いつのまにか、この戦略にハマって、こういうふうに考えるようになっちゃってるわけです。気候危機を止めるには、この異常な価値観を「きちんと異常だ」と感じて止めることですね。 pic.twitter.com/5JzMhYKuPK
— 水ジャーナリスト・橋本淳司(水の話題つぶやきます) (@HashimotoJunji) 2021年8月19日
こうした戦略があったのも、その時代の背景があってのことなのでしょう。得てして人は、そのアップデートを忘れて、それにすがり狂信となり、行き過ぎに陥ったりするのでしょう。しかし、こうしたことを反面教師にすることができれば、次の機会も生まれ、それが活かされれば、カーボンニュートラルの達成につながっていくのかもしれません。
ある人の(具体的にあらわれる)人間性を顧慮することなく、知的な能力の高さだけを称賛し、奨励するような習慣に陥ってしまうと、堕落へとまっしぐらに進んでいくだろう。
(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P145)
遠い過去からこうしたことが繰り返されてきたのかもしれません。気づいたときが異常な価値観をかえるときなのでしょう。
「知識そのものが最高の善とあると考える社会は、悪魔の巣窟でしかありません」(サミュエル・スマイルズ)