国家ということにあまり執着せずに、地球上のあらゆる人々が交わり、楽しく愉快に暮らすことができれば、平和な世界になっていく、そう改めて感じます。
2001年、米国で起きた同時多発テロはたいへんショッキングな事件でした。あの惨劇の報復のために米国は20年という時間を費やしてきました。しかし、そこから得たものはあったのでしょうか。
対立は対立しか生まなかった、それを改めて学んだだけかもしれません。
米国がアフガニスタンから撤退しました。賛否両論があるのでしょうが、対立や争いが終結したことは歓迎したい、率直にそう感じます。人と人が争い、命を奪い合いような行為はもうそろそろ、ほんとうにやめるべきではないかと痛切に感じます。
オリンピックやパラリンピックなど大きなスポーツ大会があると、国家というものを意識します。国と国の争いは、ルールがあるスポーツの場だけになればと思います。
そう思えど、現実には国家があり、競争がなくなることはありません。
日本の凋落、そんなことを聞くとあまりこころよくはありません。争いを積極的に是認したくはないですが、自分が棲むコミュニティが落ちぶれていくのかと思うと、少々危機感を覚えます。自分の身の回りが元気でないと、楽しく愉快から遠退いてしまいます。
「日本企業はとことん競争し、勝つべし」
今や企業としての成長や利益だけでなく「社会性」こそ重要だという発言をよく聞きますが、利益や成長と社会性を対立概念のように誤解されやすい言い方をするのは危険です。
短期的な成長や一時的な利益は分かりませんが、「社会性」のない会社が中長期的に利益を出し成長することなどできないわけです。
社会や顧客の圧倒的な支持を得るために、とことん競争し、日本の企業はもっと勝たなければなりません。 (出所:日経ビジネス)
「日本企業の生産性の低さもよく語られており、G7(主要7カ国)の労働生産性比較では最下位が指定席になっています」と指摘します。
自分が属するコミュニティが、凋落していく現実を見過ごすべきでないし、それよりは持続的に成長する方がよいのでしょう。
ほがらかでいると、精神が柔軟になります
「善き人間と触れ合えば、必ず善が自分に伝染(うつ)り、そのいくぶんかはずっと自分のものとなって残ります」とサミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説きます。
「高貴な人柄に接すると、自分自身も高貴な存在になったような、高い目標や目的のある世界に引き上げられたような気がしました。そしていつも別れ際になって、常日ごろ自分がなじんでいる世界はなんて低級なんだろうと感じたのです」。
(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P168)
「高貴な人柄の感化力というのはこのようなものです」と、スマイルズはいいます。
それと意識しないうちに高められ、その人と同じようにものごとを感じ、同じようにものを見る習慣が身につくといいます。
「熱意ある精神は、つねに健康で、幸せな精神です」
「朗らかな心でいれば、憂鬱な幽霊は消え、困難があっても絶望しません」と、スマイルズはいいます。
きわめてありきたりな仕事でも、そのような気持ちによって威厳に満ちたものとなります。
そして、もっとも成果のあがるのは、心いっぱいの熱意のこもった仕事です。楽しい心で仕事する人の手と頭から生み出される仕事なのです。
(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P169)
不思議なことにお金が余っていると言われています。どこの国の政府も金融緩和を続けているのですから、そうなのでしょう。しかし、そのお金の使い方に淀みがあるような気もします。
「日本の経済には新しいけん引役が必要だ」、ご自身の経験からのでしょうか、南場氏はスタートアップ企業がもっと活性化すべきとのお考えをお持ちのようです。
余ったお金が、高い志をもって「社会性」を改善しようとする人々のために役立っていけばいいのでしょう。
コロナに、地球温暖化、自分たちのコミュニティが住み難くなっています。それらを解決するのは結局自分たちの仕事でしかありません。自分の暮らしをよくしたいという熱意がないとその実現が難しそうです。
論語の教え
「近き者説(よろこ)び、遠き者来たる」(「子路第十三」16)と論語にあります。
「近隣の者が喜ぶと、遠地の者が移ってくる」との意味です。
対立がなく、棲みよい社会を作っていく、それが自分の仕事と自覚し、熱意をもって励めば、それが経済成長の源泉になるのでしょう。そうあれば活気あるコミュニティになりそうです。それができていないから、凋落なのでしょうか。