「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

献花台に長蛇の列、礼を示す海外のリーダーたち、誤解すれば驕りとなり尊大となる

 

 亡くなられた元首相を追悼する献花台が永田町の自民党本部に設置されていたといいます。老若男女、様々な人々が訪れ、長蛇の列ができていたそうです。ニュースに映し出される画像には、若い人も多いように見えました。少し意外とも感じました。

安倍氏の自民党本部献花台最終日、大雨の中長い列 - イザ!

 成果もなく責任を放棄するかのような短命政権ばかりが続いていました。功罪は抜きにして、長く政権を維持したことに力強さ、リーダーシップを感じたりしたのでしょうか。そんなことを感じながらニュースを眺めました。

 

 

論語に学ぶ

祝鮀(しゅくだ)の佞(ねい)有らずして、宋朝の美有るは、難(かた)いかな、今の世に免(まぬが)れんこと。(「雍也第六」16)

「祝鮀」のような弁説、そして才知がなくて、ただ宋朝のような容姿の美しさを売り物にしているかぎり、厳しい世の中は無事にわたってゆけまい、と解します。

「祝鮀」、衛の霊公に仕え、ある国際会議で席次争いのとき、雄弁をふるって勝利し名をあげたといいます。「佞」とは、口才すなわち雄弁のことで、当時はまだ姦悪という意味はまだなかったといいます。宋朝は、宋の公子「朝」のこと、絶世の美男子であったといわれ、霊公が寵愛する夫人、「南子」を喜ばせるために、以前から彼女の愛人だったこの宋朝を迎えて重臣にしたといいます。

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「今の世に免れる」とは、迫害さらに殺害を免れるという意味をもつといいます。残虐な行為も少なくなかった乱世の時代にあっては、弁才、悪く言えば口撃が武器になるということなのでしょう。

 

 

 国会で野党と激しく口論した首相がいたことを思い出します。演説して野次が飛べば、選挙期間中であっても相手を選ばずに罵倒する姿もありました。

「佞」がないと、のし上がっていけなかったのかもしれません。

 しかし、あまり徳ある姿には見えず、尊敬できるものではありません。

能(よ)く礼譲を以て国を為(おさ)めん。何か有らん。礼譲を以て国を為むる能(あた)わずんば、礼を如何せん。(「里仁第四」13)

「規範」、「謙譲」の精神、これによって政治を行なうことに困難があるだろうか。規範・謙譲をもって政治を行うことができないならば、「礼」があっても何の役にも立てないと意味します。

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 ある人が作った価値観のなかであれば、志半ばで倒れることは悲劇のように見えます。ただその価値観は正しいことだったのでしょうか。邪まな思いはなかったのでしょうか。

 国の規則を変え長く政権につく大統領がロシアにいます。中国でもこれまでの慣例を変えて3期目を目指す国家主席がいます。米国では大統領選の結果に文句をつけ、議事堂襲撃を煽った大統領がいました。日本では、党の規則を変えて、3選を果たし長期政権を作った首相がいました。

 英国では強いリーダーシップを示した首相が、噓をつき、規範を破ったとして、辞任に追い込まれました。首相の居直りをたとえ与党であっても許すことはありませんでした。何故なのでしょうか。

 

 

 いつの間にか分断化した世界が定着し、景気までが世界的に減速するようになりました。長きにわたって政権にあり、真に国際貢献していたなら今のような分断化はなく、対立もなかったのかもしれません。低迷する国内景気ももっと早く解決されていたのでしょう。まして今に悪影響を残すこともなかったのでしょう。

 海外のリーダーたちが哀悼の意を表しています。「礼儀」に従ってのことではないでしょうか。「礼」を欠いては無礼になってしまいます。逆にそういう儀礼、しきたりを悪用するようになれば、慇懃無礼、驕りになってしまわないでしょうか。

 国葬について賛否両論があるようです。反対する人々はその功罪を評価すべきと声をあげています。それでも国葬を進めようとすれば、傲慢とならないでしょうか。

 政権は国葬を望む党の流れに乗じているように見えます。早くも延命に利用しようとしているのでしょうか。

 こういうときこそ分断を煽ることなく、融和を目指すべきのように感じます。社会にコロナのようにまん延していそうな悪しき価値観を変えるリーダーシップが求められていないでしょうか。