「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【みずほ銀行と渋沢栄一】お粗末なシステム障害対応、解決策を栄一のことばに求めれば ~論語と算盤 #16

 

 みずほ銀行でシステム障害が多発し、金融庁が業務改善命令を出しているがなかなか問題が収束していないようだ。

 みずほフィナンシャルグループが、8月と9月に起きたシステム障害の原因分析と再発防止策をまとめたという。

みずほ幹部「システム使いこなせず」 機器の故障頻発: 日本経済新聞

 日本経済新聞によれば、記者会見した石井哲CIO(最高情報責任者)は「システムを使いこなせていない」と述べ、8月20日の大規模障害は特定の機器で故障率が上がっていたのに見落とし、マニュアルの不備もあって適切に対応できなかったと総括、運用に問題があるとの認識を示したという。

 

 

今回の記者会見では、システム障害のきっかけとなった機器の故障原因は分からないとした。頻発する故障を見逃した理由も判然としない。

原因分析に甘さが残る内容と言え、今後のシステムの安定稼働に不安を残している。(出所:日本経済新聞

 あきれるというか、メガバンクということであろうに何たることか、にわかに信じがたい内容だ。説明責任が果たせていないのではないか。

 問題が発覚して1か月が経過しても不具合解析が終わらないはずがない。まして過去において、壊れたハードディスクと同じ型番の機器の故障率が上がっていたというのだから。これでは、システムを使いこなせていないというよりは、システムをまともに維持することすらできていないといわれても仕方ないのだろう。

論語の教え

「已(や)んぬるかな、吾未だ能(よ)く其の過ちを見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり」と、論語「公冶長第五」27にある。

「残念だな。己の過ちを認め、心の中で己を責めることができる者に出会ったことがないのだ」と意味に解される。

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 本当に学問をしている者、すなわち道徳的であろうとする人間なら、過ちを知ったならば自分を心で咎めなければならないはずだが、そういう人間が見られなくなったのであれば、もうおしまいと言わざるを得ないと、この章を桑原武夫は解説する。

 

 

人は兎角身儘勝手なもので、自分で自分の過失を知つて、自ら之を責むるといふやうな事を致さず、仮令、過失を知つて之れに気付いても、過失で無い事にして通さうとしたり、或は過失を飾つて人の眼を誤魔化さうとしたりなどしたがるものだ。中には他人に我が過失を知られても、自分は強ひて之を知らぬやうな顔をして図々しく通してしまはうとする人なぞもある。甚しきに至つては十分自分の非に気付いて居りながら、なほ且つ其非を遂げようとする者さへある。 (引用:実験論語処世談 渋沢栄一記念財団

 渋沢栄一は、この章をこのように解説し、「然し二千五百年前の孔夫子在世の比にも亦二千五百年後の今日にも、相変らず我が過失を見て内に自ら訟むる者の少い一事に想ひ到れば、道徳は二千五百年前より今日に至るまで毫も進化の痕が無いやうにも思はれる」という。そうなのかもしれないが、こうした過ちの問題は道徳の問題なのだろうか。

 栄一がみずほのことを言っているようである。そのみずほの源流は、栄一が設立にかかわった日本初の銀行「第一国立銀行」にあるという。

 そして、みずほは栄一の言葉を紹介する。

小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることはできない

これは、どんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分であり、それが満足にできなければ、最終的に大きな仕事をやり遂げることはできないといった意味になります。つまり、時計の小さい針や小さい輪が怠けて働かなかったら大きな針が止まってしまうように、ビッグプロジェクトでも、メンバーの一人がモチベーションを下げていれば、その日に進めるべき全体工程が狂ってしまう、ということにもつながるでしょう。 (出所:みずほ銀行

 

 

悩みが消える! “歴史・偉人”の言葉~渋沢栄一の巻~ | みずほ銀行

 さらに、みずほは、「企業において、若手のうちは、経験を積み、知識を身につけるためにも、一見些細と思える仕事を振られることが多いかもしれません。そんなとき、自分の仕事は必要ないのではないかとやる気を失ったり、会社に必要とされていないなら転職しようと考えたりする人もいます」という。

リーダーは、組織にいる若手を活かすためにも、頼んだ仕事の意味や、それが業務全体のどの部分に位置する仕事なのか、そして、その仕事を全うすることで最終的にどのような大きな成果が得られるのかを、しっかり伝えていく必要があるといえます。 (出所:みずほ銀行

 みずほ社内はどうなのであろうか。公開しているこの文書はみずほ社内のことを言っているのだろうか。栄一がこの事実を知れば、悲しむのではなかろうか。