理化学研究所が9月、電気抵抗のない超電導で、2 年間の永久電流運転に世界で初めて成功と発表した。
理研ら、高温超電導接合実装のNMRで2年間の永久電流運転に成功 世界初 | 財経新聞
「超電導」とは、非常に低い温度に冷やされた物質の電気抵抗がゼロとなる現象で、「永久電流」とは、超電導物質で作られた回路に誘導されて、回路内をいつまでも流れ続ける電流のことをいう。夢のような技術で、エネルギーロスの小さい送電線やリニアモーターなどへの応用が進められているという。
電子・電気機器は、電気抵抗との戦いである。新たな商品が生まれ、その新しい機能が注目されるが、その陰で技術者たちがその低減に常に取り組んでいる。
この技術が実用化できれば、エネルギー消費が画期的に減り、脱炭素が一気に進むのではないかと思うが、まだまだ解決しなければならない課題も多いのだろう。
この理化学研究所の歴史は古く、設立は1917(大正6)年。この設立にも渋沢栄一が関係している。1913年、東京 築地精養軒に実業界の120名のほか、農商務大臣や官僚らを招いて演説会を開いたことが端になった。この後、栄一らが設立案を起草し、政府へ嘆願することで、その設立につながる。
当時、第1次世界大戦が勃発した影響で、医薬品や工業原料の輸入が制限され、日本は大きな打撃を受け、これがきっかけで、化学工業の進行が急務であると認識されたという。そして、ついに帝国議会で採決に至り、化学と物理学の両分野を包含した理化学研究所が設立されたそうだ。
論語の教え
「三年学びて、穀(さいわ)いに至らざるは、得易からざるなり」と、論語「泰伯第八」12 にある。
栄一は、この意味を「学問を三年しても一向利禄のこと等は眼中に置かず、猶、一意専心学問を続けて行かうといふやうな、所謂真に自己の為に学問をするといふ篤学の人は、誠に得難いものである」とし、「学問は人の為にするのでもなく、又利禄とか名誉の為にもするものでなくして、己自身の為、又人の人として為すべき道を修むる為にするものに過ぎぬ」と、その主旨を解説する(参考:実験論語処世談)。
そして、栄一はこう指摘している。
今日のこの学問の有様を見ると、非常に心配に思ふのである。
今の如く唯利禄の為名前を売る為に勉強するのみであつたならば、自然道徳は廃れ、唯権利のみを主張して義務は忘れ、世の中の秩序といふものは何時とはなしに乱れて、遂には収拾することの出来ぬ状態に陥り、果ては自他共に亡びて行かねばならぬといふこととなつて了ふのである。
これは、今の中に何とかして真の学問を振興するやうに努めねばならぬと思ふ。(引用:実験論語処世談)
栄一の憂いは今の世でも当てはまるのではなかろうか。
新政権が誕生し、脱炭素政策は維持されるという。
自民党の総裁選のオンライン討論会で高校生が「気候変動についての対策をお聞かせ下さい」と質問したとき、新首相が当時、LED電球やお風呂を例にして、省エネできると説明していた。少々お寒い説明ではないかと感じた。この問題をその程度にしか考えていないのだろうかと.....
世界の国々気候変動対策に熱心に議論し、低炭素社会への移行は避けられなくなった。まさか国際会議の場でもLED電球の話をする気のだろうか。
国内にも理化学研究所のように優れた研究がある。そうした研究に若者たちが興味を抱くように仕向けるのも役割ではなかろうか。
ノーベル物理学賞に真鍋淑郎さん(90)が選ばれた。地球温暖化研究の先駆的存在で、二酸化炭素濃度の上昇が大気や海洋に及ぼす影響を世界に先駆けて研究し、現代の地球温暖化予測の枠組みを築いたという。
脱炭素においても、こうした絶え間ない研究と実用化が求められているのだろう。