「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

共通テストで不正行為の学生が出頭 【古の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす】

 

 大学入学共通テストで不正行為の疑いがあるとの問題で、19歳の大学生が警察署に出頭し、関与を認めたといいます。自ら出頭したと聞いて安堵します。

「ニュースで報じられている件は私がやりました」、スマートフォン上着の袖に隠して試験問題を撮影したそうです。

共通テスト不正疑い 香川で出頭女性 スマホ上着に隠し撮影|NHK 香川県のニュース

 経緯や動機などは今後の捜査によって明らかになるのでしょうが、この学生は別の大学に入学するために共通テストを受けていたということです。

 NHKによれば、「成績が上がらず魔が差してしまいました」と反省している様子だということです。

 緻密に計画された感が否めません。それだけの力を別な方向、学習に注げば、違った結果になったのではないでしょうか。

 

 

論語に学ぶ

古(いにしえ)の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす】(「憲問第十四」24)とあります。

「古の学に志すものは、己の心を得んことを心掛け学習したけれども、今の学問をなす者は、まず己を得ることよりも、口舌を巧にし、偏に名声、人に知られんことを心掛けるものである」と渋沢栄一は読みます。

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 そして、「古の学ぶ者は己れに益があったから、人にも益を与えるようになったけれども、今の学ぶ者は己れを得ることが出来ない為に、人をも益することが出来ない」といいます。

 栄一は「論語と算盤」で、この章を引用して「ただ学問のための学問をしている輩が多い」といいます。

「学問をすれば誰でもみな偉い人物になれる」という一種の迷信のために、自分の境遇や生活の状態も顧みず、分不相応の学問をしてしまう。その結果、後悔するようなことになるのだ。 (引用:渋沢栄一論語と算盤」P194)

 

 

 一方、桑原武夫は「学問をしていても人に知られない、つまり自分の能力が社会に認められないことは往々にしてある」といいます。

学問の成果は、「自己の人格や生を高めるという自己目的的なものであって、名利には存しない」 (引用:論語 桑原武夫 P9)

 学習し、就職し、社会のために活用したいという願いは誰しもが持つものですが、たとえそうした希望が叶えられなくても、それも「天命」と心得て、平静な心境でいるのもまた立派なのであると桑原は解説します。

 しかし、いつの時代でも就職のことは最大の関心事なのでしょう。弟子の子張が就職の方法について、孔子に尋ねてました。すると孔子は、 

「多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んで其の余を言えば、則ち尤寡(とがすく)なし。多く見て殆(あや)うきを闕(か)き、慎んで其の余を行なえば、則ち悔い寡なし。言尤寡なく、行ない悔い寡なければ、禄其の中に在(あ)り」(「為政第二」18)と答えます。

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「多く学習し疑問点を解き、その他の確かであることについて慎重に発言すれば、まず過ちは少ない。多くを経験して不安な点を除き、その他の確かであることについても慎重に行動すれば、まず過ちが少ない。発言に過ちが少なく、行動に過ちが少なければ、社会はその人を信頼し招聘するので、就職は自然と定まる」との意味です。

「子張」は、孔子晩年の弟子で、最年少者で秀才といわれた人物です。ただ、「仁」に欠け、人の感情などに拘らず、過ぎたるところがあってか、仕官できずにいたようです。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の「過ぎたる」は子張のことを指しています。少々性格に難があったのでしょうか。

 

 

 桑原武夫によれば、「学習」とは、まねび(学び)と習うことで、先生から読み聞かされたことを覚え、それを知るに変えるため、実習を通して実践し、身につけていくことといいます。知識学習を単なる知識の勉強に終わらせず、人格形成にも役立てるということなのでしょう。しかし、それもまた孔子の生きた古代から残る課題なのかもしれません。

学んで時に之に習う、亦た説(よろこ)ばしからず乎」(「学而第一」1)

 一つの学説を知り、それをもとに他の本を読んだりして、自然や社会現象を読み解いたりする。そうするうちに興味や関心がわき、段々楽しくなる。そして、本気で打ち込むようになり、夢中になる。それが好きになるということなのかもしれません。

 勉強という努力も必要なのでしょうが、そこには学習が必要なのでしょう。

 

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