「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

9.11 あの惨劇から20年、なくならない暴力【善人 邦を為むること百年ならば.....】~炉辺閑話 #33

 

 9.11 米国でおきた同時多発テロ事件から20年の歳月が流れた。米ニューヨークのワールドトレードセンターの跡地「グラウンド・ゼロ」などで、追悼式典が行われ、深い悲しみに包まれた。攻撃のあった時間に計6回の黙祷が行われ、3000人近い犠牲者の名前が読み上げられたという。

9/11から20周年の追悼式典、ニューヨークなどで6回の黙とう - BBCニュース

9.11当時の大統領だったブッシュ氏が、ペンシルヴェニア州の追悼式典で、「20年前の攻撃後にアメリカ国民がいかに一致団結したかを思うと、最近の国内の激しい分断や対立は隔世の感がある」と述べ、「イスラムアメリカ人やアウトサイダー、移民や難民を温かく受け入れる国、それが私の知っているアメリカだ」と強調したという。

 

 

ブッシュ氏はさらに、「この国への危険は国境を越えてだけでなく、国内で高まる暴力もその原因になり得ると、証拠が増え続けている。

国外の暴力的な過激派と国内の暴力的な過激派の間に、文化的な重複はほとんどないが、多元的な共存を見下し、人命を軽視し、国家的な象徴をなんとしても損なうのだというその断固たる姿勢から、その者たちは同じおぞましい精神の産物だ。その者たちに「対峙」することが、私たちに引き続き課せられた責務です」と述べた。 (出所:BBC

論語の教え

「善人 邦を為(おさ)むること百年ならば、亦(また)以て残(ざん)に勝ちて殺を去る可し、と。誠なるかな、是(こ)の言」と、論語子路第十三」11 にある。

「善人が為政者となって百年もの時があれば、残忍な連中も感化し、死刑も不要となる」と訳される。

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「善人」とは、「聖人」と違い、自分が生まれたときからの人柄のままに進み、世にあって人として間違いは冒さない人だという。そうした人がいたとしても、100年の時間をかけなければ、平穏は訪れないということなのだろうか。

 「対峙」、暴力なき対峙は可能であろうか。徳をもって、それを感化することはできるのだろうか。

 

 

 9.11から20年という時間が経過しても、結局、何も変わっていないといわれる。誰かが手を挙げれば、そこから暴力の連鎖が始まる。

 春秋戦国時代に生きた孔子も時に戦いを選択したといわれる。道理に従ったとしても、人はどこかで過ちを犯してしまうということなのだろうか。少しばかり道徳の限界を感じるが、もしかしたら、そうした自らの経験があったからこそ、道徳に至ったのかもしれない。道徳は学び、実践しなければ身につかないということなのだろう。

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 孔子が道徳、道理を説いてから2500年以上の時が経過する。この間、どれだけ平穏のときがあったのだろうか。善人がきわめて少ないということなのかもしれないし、善に近づこうとする人も少ないということなのかもしれない。

 戦いの終結を選択したバイデン大統領は、善人なのだろうか。それとも善人になろうとしているのだろうか。暴力はない方がいい。