子夏(しか)曰わく、仕えて優なれば、則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。(「子張第十九」13)
(解説)
子夏の言葉。「すでに就職して余力があれば、学ぶのだ。学んで余力があれば、就職する」。(参考:「論語」加地伸行)
「優」は余力と解する。
学業を修めて就職する。学業を修めたからといって、すべてを習得したということはないのだろう。この世の「知」を知るということはどれだけ時間があっても足りないのかもしれない。
就職し社会に出れば、「なぜ」と思うことがたくさん出てくる。仕事をすれば「知」の不足を感じることもある。そんなことから「学び」の機会が生まれるのだろう。知を探究し始め、興味を持つと、終わりがないのかもしれない。
「仕えて優なれば、則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う」
その「知」を活かせば、そこから価値が生まれる。知を活かすことが仕事ということなのだろう。
人手不足、人材不足が指摘される。学業と社会のミスマッチなのだろうか。
不足を充当する「知」を得れば、仕事を得、社会に貢献ができる。仕事を得て、余裕が生まれれば、さらに知を探求し、それを学ぶ。そうして「知」は蓄積されていき、それを活かそうとすれば、キャリアアップも可能ということなのだろう。
しかし、現実の世界ではなかなかそうはいかない。なかなか余裕を持てないのが現実の社会なのかもしれない。
「之を知る者は、之を好む者に如(し)からず。之を好む者は、之を楽しむ者に如からず」
「知」は客体の認識、「好」は客体への傾斜つまり関心、そして、「楽」は客体の中に入ってあるいはそれと一体化して安住することであろうと桑原は解説する。
最初の二段階を経て、はじめて第三段階の安らぎの理想境に達することができる。
しかし、安らぎを得ると、不思議にまた、次への関心が生まれたりするのだろう。人の欲求には終わりがないのかもしれないし、「安らぎ」を認識することが最も大切なことでもあるのだろう。
「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。孔門十哲の一人。後に魏の文侯に招かれ、その師となる。
(参考文献)