「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

吾は斯の人の徒と与にするに非ずして、誰と与にせん【天下 道あらば、丘は与に易えざるなり】 Vol.472

 

長沮(ちょうそ)、桀溺(けつでき)藕(ぐう)して耕す。孔子 之を過ぐとき、子路(しろ)をして津(しん)を問わ使(し)む。長沮曰わく、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者 誰と為す、と。子路曰わく、孔丘(こうきゅう)と為す、と。曰わく、是(こ)れ魯の孔丘か、と。曰わく、是なり、と。曰わく、是ならば津を知らん、と。

桀溺に問う。桀溺曰わく、子は誰と為す、と。曰わく、仲由(ちゅうゆう)と為す、と。曰わく、是れ魯の孔丘の徒か、と。対えて曰わく、然(しか)り、と。曰わく、滔滔(とうとう)たる者天下皆是なり。而(しか)して誰か以て之を易(か)えん。且(か)つ而(なんじ)は其の人を辟(さ)くるの士に従わん与(よ)りは、豈(あに)世を辟くるの士に従うに若(し)かん、と。耰(ゆう)して輟(や)めず。子路行(さ)りて以て告ぐ。

夫子(ふうし) 憮然(ぶぜん)として曰わく、鳥獣(ちょうじゅう)は与(とも)に羣(ぐん)を同じくす可(べ)からず。吾(われ)は斯(こ)の人の徒と与にするに非(あら)ずして、誰と与にせん。天下 道あらば、丘は与に易(か)えざるなり、と。(「微子第十八」6)

 

(解説)

「長沮と桀溺とが、対になって耕していた。孔子一行がその近くを通りかかったとき、孔子子路に河の渡し場がどのあたりかそのふたりに尋ねるよう命じた。長沮が「車の持っているあの人は誰ですか」と尋ね、子路は「孔子です」
と答えた。長沮が「魯の孔子ですか」と尋ね、子路は丁寧に「そうです」と答えた。すると長沮は「あちこち放浪し物識りだから渡し場くらい知っているのでは」と言った。

子路が桀溺が尋ねると、桀溺は「あなたは誰ですか」と尋ね、子路は、「仲由です」と答えた。桀溺が「魯の孔子の弟子ですか」と尋ね、子路は丁寧に「そのとおり」と答えた。すると桀溺は、「どこもかしこも乱れている。みな諦めている。あなたも、人を選んでは浪人している孔子についてゆくより、静かに隠居して暮らしている私たちについてくるほうが、よほどよくないかね」と言った。彼らは会話の間も畑を耕し続けていた。子路は去って戻り、報告した。

孔子は憮然としこう言った。「鳥獣とともに暮らすことはできない。私がこの世の人とともに生きてゆくことをしないで、誰とともに生きてゆくのか。乱世でなければ、私が誰とも、ともに変える必要はないのだ」と論語 加地伸行)  

 

 

  

「長沮」、「長」は長身、「沮」は湿地を意味するという。

「桀溺」、「桀」は大柄、「溺」は尿を意味する。

「沮」は阻む、「溺」はおぼれるということから、手強い相手とのイメージがあると加地はいう。長沮と桀溺は、背が高いうるさそうな農民として記憶されていたのだろうという。 

 

  この章のエピソードは孔子何歳のときのことであろうか。

 

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫