「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

パリ協定を離脱するアメリカ【その掌を指せり】 Vol.54

 

 或ひと禘(てい)の説を問う。子曰わく、知らざるなり。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如し、と。その掌(たなごころ)を指せり。(「八佾第三」11)

  

(意味)

「ある人が禘の祭りの細かい解釈を質問したことがあった。孔子は「知らんな。それを知っている人が世の人に対して述べるとすれば、ま、こういうふうかな。」とおっしゃって、御自分の掌の指をさされた。」論語 加地伸行

 

 

 「気候危機」が起こりつつある。地球温暖化の影響で気候変動が起こり、世界各地で災害を起こすようになっている。地球温暖化の主要因は無秩序な石油消費ではなかったのか。未だに石油産業を牛耳ろうとするのが石油メジャー。石油メジャーは未だに油田開発に余念がないようだ。

 ロイターは『米石油大手がシリア油田操業も』と伝える。

 米ブラウン大学の政治・国際関係学准教授、ジェフ・コルガン氏は「米国がエクソンモービルなどの米企業を通じて『石油を手中に収める』というのは非倫理的で、違法の可能性もある」と分析。(出所:ロイター) 

 

 過去、石油が私たちの生活をより便利に豊かにしてくれた。そして、石油産業はこの世の春を謳歌した。今、現実を見れば、大量に排出された二酸化炭素で地球環境は果てしなく疲弊しているように見える。にも、関わらず、新たな油田が必要なのであろうか。

 

 

 孔子は、礼法の乱れた禘の祭りを、手のひらを示すことで表そうとしたようだ。 

手のひら関連の言葉は多々ある。

「手のひらをかえす」「手中に収める」「掌握する」「手の内を見せる」 

 「手のひらの中のトランプ」、そんな新語はないのだろうか。アメリカはパリ協定を離脱した。

  

jp.reuters.com

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

【吾之を観ることを欲せず】 ラグビーワールドカップ スコットランドの処分とカナダ代表の逸話Vol.53

   

 子曰わく、禘(てい)既に灌(かん)してより而住(のち)は、吾之を観ることを欲せず。(「八佾第三」10)

  

(意味)

「わが国の先祖の祭りも、酒を地に注いで神霊を呼び憑(よ)らすまではよいが、その後の儀式は見るにたえない。」論語 加地伸行

 

 「これを観ることに欲せず」について、加地は「魯国の君位継承において問題があった」を指摘し、具体的には、宗廟に配置された位牌の並べ方の順序を変更し、礼法を乱したことを孔子が問題にしたという。 

 

 

 ワールドカップラグビーは終わったが、スコットランドラグビー協会に罰金処分が下された。台風19号が迫りくる中での不適切な発言に対する処分だ。

 紳士のスポーツと言われるラグビー。そのプレーもさることながら、試合前後の選手たちの態度、礼節さにも注目があつまった。そんな中でのスコットランドラグビー協会の発言は見るに堪えないものがあった。
www.afpbb.com

 

  一方で、釜石では、カナダ代表が台風19号のあとのボランティア活動で話題を集めた。その後にも逸話がある。その主役は、ラグビー・カナダ代表のファンデルメルビさん。

 

 

「一人でここ成田空港で座っているが、日本の行いに感動している。個人、航空会社職員、一般の方々が私のところに来て、『昨日釜石で協力してくれてありがとう』と言ってくれた。どのくらいアメージングなことかと言うと、釜石はここから530キロも離れているんだ」(出所:THE ANSWER)

the-ans.jp

 

 素晴らしいラグビーワールドカップと言える瞬間だった。

次は東京オリンピック。素晴らしい大会になることを期待したい。

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

【足らば則ち吾能く之を徴せん】 武井壮の”選ばれる人になる方法” Vol.52

  

 子曰わく、夏の礼は吾能(よ)く之を言えども、杞徴するに足らざるなり。殷(いん)の礼は吾能く之を言えども、宋徴するに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴せん。(「八佾第三」9)

 

(解説)

夏王朝の礼について、私は論ずることができるが、杞国の礼は証拠とする足しにはならない。同じく殷王朝の礼について、私は論ずることができるが、宋国の礼は証拠とする足しにはならない。文書も賢人も欠いているからである。もしそろっておれば、夏・殷の礼についての私の学はさらに十分なものになるだろう。」論語 加地伸行

 

 

 

この言葉を聞いて、何故か武井壮のことを思い出した。

「百獣の王」、武井壮。   

  陸上十種競技の元日本チャンピオンであり、世界マスターズ陸上で世界一に輝いた一流アスリートでもある彼は、スポーツの経験から編み出した独自の成功理論で、多くの人を惹きつけている。(出所:Forbes)

武井本人は「自分にはスペシャリティがない」と語る。そんな彼がたどり着いた、芸能界で生き残るための戦略が「スーパーゼネラリスト」。  

毎日3時間は自分の能力を鍛えるために使うと決めています。フィジカルトレーニングに1時間、新しい知識の学びに1時間、そして、新しい技術を習得する練習に1時間。たとえどんなに疲れていても、夜遅くなってしまったとしても、必ずやる。計3時間を自分磨きに費やす生活を7年も続けてきたという。(出所:Forbes) 

forbesjapan.com

 

 武井は、スーパーゼネラリストになるために、『最初は、テレビに出るためにはどんな能力を磨けばいいかを徹底的に研究することから始めました。テレビ欄を見て番組のジャンルをカウントし、どんなタレントが求められているのか、あの番組に出るためにはどんなトークができればいいのかを分析していった』という。(出所:Forbes)

 

 専門家は専門書で学ぶことができる。スーパーゼネラリストには教科書はない。独学で道を切り開いてきたのだろう。 

「足らば則ち吾能く之を徴せん」

 元アスリートであった武井だから、できる業なのだろうか。

  

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

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【絵事は素を後にす】 Vol.51 阿吽の呼吸~小嶋陽菜 x BASE鶴岡裕太 

 

 論語にはたびたび孔子と子夏のやりとりが登場する。それにしても、二人の会話は阿吽の呼吸とでもいうような絶妙な間合いがある。

 

 子夏問うて曰わく、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盼(へん)たり。素以て絢(けん)を為すとは、何の謂いぞや、と。子曰わく、絵事(かいじ)は素を後にす、と。曰わく、礼は後か、と。子曰わく、予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言う可(べ)きのみ、と。(「八佾第三」8)

  

(意味)

「子夏が質問した、「詩に笑顔うるわし。眼元涼やか。白粉の美しさ。とあります。どういう意味でしょうか」と。「絵を描くときは、まずは色を使う。そのあと胡粉を色の間は塗って完成するのだ」と。子夏はついで問うた。「儀礼は後でよろしいのですか」と。孔子はおしゃられた。「私の言わんとするところを表してくれるのは、商(子夏)君だ。お前となら詩を語り合える」と。」)論語 加地伸行

 

  桑原は以下のように解説する。

子夏が三つの詩句を引いて、これは何のことをいっているのかと聞いた。この三つの句のうち始めの二つは「詩経」の「衛風」の「磧人」篇の中にある。衛の君主荘公の夫人荘姜の美しさをたたえたものだという。にっこり笑うとえくぼが美しく、黒目と白目がくっきりろあざやかだ、というほどの意味らしい。次の一句は今に伝わる「詩経」の中にはない。それはいつのまにか脱落した句すなわち「逸詩」だとされているが、貝塚氏は、詩の本文につけて歌われた替句のようなものと解している。子夏はこの第三句がよくわからなかったので質問したのだろう。

 

 

 「絵の事は素(しろ)きを後にす」というのは、古注によると、絵とは文のあることで、衣服に彩色するさい、まずは五つの色をおいた後で、そのふちどりをとして白色を最後に加える、そうすると全体がしまって引きたつのだという。美貌をたたえたあとで、なぜこんな絵のことを持ち出したのか。これは荘姜の顔の美が衣服の華やかさに釣り合っていることを示して賞讃したものだ、と仁斎はいう。

 仁斎が巧みに洞察して解説しているように、子夏はおそらく辞句の解を求めたのであって、ここまでは師弟の間の「間談」であって、学問と無関係だったのが、頭の回転の早い子夏が、飛躍して、それでは礼も絵における素のように後に学ぶものですか、と発言するにいたって、にわかに高次元の議論となったのである。「礼を後にす」とは徂徠に従って、まず美人でないのに厚化粧すれば、かえって醜い、五色の色がまずなければ白でふちどりすることもできない。人間はまず忠信の人でなければ礼の末節にこだわっても仕方がない、という意味にとっておく。

 

 

「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。

  

dsupplying.hatenadiary.jp

 

孔子が外出しようとしたとき、雨が降ったが、傘がなかった。弟子が「子夏がもっていますよ」というと、孔子は「あれはケチだからなあ」と答えたという。続けて「人の長所を言い、短所を忘れることによって、長くつきあいができるのだ」と言ったと、加地は「孔子家語」の一節を紹介する

 

 

 

小嶋陽菜 x BASE鶴岡裕太

 BASEの新オフィシャルメッセンジャーに起用された小嶋陽菜さん。この記事を読んで小嶋さんの印象が、

『絵の事は素(しろ)きを後にす』と一致するように思う。

 うまく言葉で表すことはできないけど.....

forbesjapan.com

 

そして、BASE鶴岡裕太さんとの信頼関係。

 信頼関係があるからこそ、より良いものを目指すことができる

  小嶋さんはこんなこともおしゃっています。

もっと上の世代の経営者の方々は「どうすれば儲かるか」とか、そういった勝ち筋を持っていらっしゃるのですが、鶴岡さんをはじめ同年代の経営者の方々は、「もっと新しくて楽しいことはなんだろう」という思いがある。話をしていてすごく刺激になるし、楽しいんです。(出所:Forbes)

 

この二人も孔子と子夏の関係に近いのだろうか。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

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【君子は争う所無し】紳士たちのラグビーワールドカップ Vol.50

  

 子曰わく、君子は争う所無し。必ずや射か。揖譲(ゆうじょう)して升下(しょうが)し、而(しか)して飲む。その争いや君子なり。(「八佾第三」7)

  

(意味)

「教養人は角突き合わせて競争するようなことはしない。競り合いあるとなれば、強いて言えば射の試合のときぐらいか。しかし、射礼というものがあり、射場となる堂となる庭との間を二人ずつ並んで出るとき、礼儀を守って昇り降りし、負けた方が罰杯の酒を飲む。その試合は優雅に楽しむのが目的であり、いかにも教養人のものらしい」。論語 加地伸行

 

 

 

 論語のこの言葉は、ラグビーのことを表現しているのではないかと思ってしまう。

 ラガーマンたちは実に紳士だ。試合が終わった後、お互いに称え合う光景は見ていてたいへん清々しい。

日本チームは世界ランキング2位のアイルランドに競り勝った。

「もう奇跡とは言わせない。」と言わずとも、

 相手アイルランドチームから褒め称えられ、世界のメディアからも賞讃の声が届いている。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

【會ち泰山は林放に如かず】 Vol.49

   

 季氏泰山に旅(やままつり)す。子冉有(ぜんゆう)に謂いて曰わく、女(なんじ)救う能(あた)わざるか、と。対えて曰わく、能わず、と。子曰わく、嗚呼、會(すなわ)ち泰山は林放に如かず、と謂わんや、と。(「八佾第三」6)

  

(意味)

「季氏が泰山で山を祭る儀礼の旅を挙行した。孔子は門人で季氏の執事長をしている冉有にたずねられた。「その非礼を諫めて中止することができなかったのか」と。冉有は答え申し上げた。「できませんでした」と。孔子は概歎されて、こうおっしゃられた。「なんということだ。神聖な泰山の神霊は、礼の根本を重んじられ、季氏の非礼をお享けになるまい。もし仮に非礼をお享けになりにでもしたら、泰山の神霊よりも礼の根本を問うた林放という男のほうが上という話になるのか」、と。」(論語 加地伸行

 

 

「泰山」、山東省の黄河下流にある名山。海抜1500mほどの山。中原からみて東を守る霊山で、天子はこの泰山の祭祀場に登り封禅という最高儀式を行うという。魯国の君主は天子風に泰山で祭ることを許されていたが、魯君の家老である季氏が、僭越にも魯君と同等の旅(やままつり)を行ったという。

 

  「冉有(冉求)」は孔門十哲の一人と言われる。孔子より29歳年少の弟子。字名は子有。政治的手腕があり、才芸も豊かで、謙遜深かったといわれる。孔子が晩年魯国に帰国した後、冉求は季子の臣となったといわれる。 

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

「林放」、「史記」弟子列伝に見えないので、孔子の弟子であったかどうかは不明だという。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

【礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ】 Vol.47 ~平成の引き際 象徴天皇としての明仁さま

 

 明仁天皇が退位を御表明されたときはたいへん驚いたものだ。

 日本の歴史の中の天皇と、ご自身の象徴天皇という新たな立場も加わり、相当に悩まれたことと推測できます。

 

 林放礼の本を問う。子曰わく、大いなるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪(そう)は其の易(おさ)まらんよりは、寧ろ戚(いた)めよ、と。(「八佾第三」4)

  

(意味)

「林放が礼学の根本とは何ですかと質問した。「とてもいい質問だ。儀礼を行なうとき本来のありかたとしては、派手にするよりも質素にすることだ。喪礼のときも同じく、行き届き過ぎるよりも、哀しみで段取りがズレるほうがいいのだ。」と。」(論語 加地伸行

 

「林放」、「史記」弟子列伝に見えないので、孔子の弟子であったかどうかは不明だという。

 

 

 

 明仁天皇は、それまでの慣習を止め、子育てを自分でなされていたと聞く。より国民を理解するうえでもとのお考えがあったようだ。

 それまでの色いろな慣習を変える。天皇の地位にあることを甘んじることなく、「国民の象徴」としてどうあるべきかを模索されていたように思う。

 

礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ

 

「礼」を重んじる。 明仁さまにそんな生き方を見る気がする。

  

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www.nippon.com

  

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)