季氏泰山に旅(やままつり)す。子冉有(ぜんゆう)に謂いて曰わく、女(なんじ)救う能(あた)わざるか、と。対えて曰わく、能わず、と。子曰わく、嗚呼、會(すなわ)ち泰山は林放に如かず、と謂わんや、と。(「八佾第三」6)
(意味)
「季氏が泰山で山を祭る儀礼の旅を挙行した。孔子は門人で季氏の執事長をしている冉有にたずねられた。「その非礼を諫めて中止することができなかったのか」と。冉有は答え申し上げた。「できませんでした」と。孔子は概歎されて、こうおっしゃられた。「なんということだ。神聖な泰山の神霊は、礼の根本を重んじられ、季氏の非礼をお享けになるまい。もし仮に非礼をお享けになりにでもしたら、泰山の神霊よりも礼の根本を問うた林放という男のほうが上という話になるのか」、と。」(論語 加地伸行)
「泰山」、山東省の黄河下流にある名山。海抜1500mほどの山。中原からみて東を守る霊山で、天子はこの泰山の祭祀場に登り封禅という最高儀式を行うという。魯国の君主は天子風に泰山で祭ることを許されていたが、魯君の家老である季氏が、僭越にも魯君と同等の旅(やままつり)を行ったという。
「冉有(冉求)」は孔門十哲の一人と言われる。孔子より29歳年少の弟子。字名は子有。政治的手腕があり、才芸も豊かで、謙遜深かったといわれる。孔子が晩年魯国に帰国した後、冉求は季子の臣となったといわれる。
「林放」、「史記」弟子列伝に見えないので、孔子の弟子であったかどうかは不明だという。
(参考文献)