「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

中華思想と多様化【夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず】 Vol.48

  

 子曰わく、夷狄の君有るは、諸夏(しょか)の亡きに如かず。(「八佾第三」5)

  

(意味)

「野蛮人にも首長はあるけれども文化水準が低く、とうてい中国の君主なき状態にも及ばない。」論語 加地伸行

 

 中国はとても不思議な国である。

 4000年以上も続く歴史の中で栄枯盛衰を繰り返している。そして、変わらぬ思想、文化がある。「中華(夏)思想」もそのひとつであろう。世界の中心は中国の天子にありとの考え。「諸夏」の絶対優越性とでもいえるのだろうか。

「夏は大なり」、「諸夏」とは中原にある文明のさかんな漢民族の国々を指し、その周辺にある野蛮な諸異民族と対立するという。この時代、秦、楚、呉、越などはまだ夷狄とされていたという。

夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず

 宋の時代、モンゴルの元が宋を滅ぼす。この時代を生きた朱子は異なる読みをして新注とされるが、この古注のような「中華思想」には差し障りがあったのだろうと桑原は指摘する。 

 

 

 桑原は、この章を以下のように解説する。

孔子の教えの中心は文明の尊重にある。その文明の基本は礼楽の尊重とその実践にあるが、もともとリチュアル(儀式)とはそれぞれの種族の特殊な生活形態の核から生じるものであるから、他種族には感得、理解を絶する面をもっている。したがってこれにあまり執着して、中華思想」におちいることは他種族との間の平和を乱す恐れもあるのだが、孔子はそうした国際政治までは考えなかったのだろう。孔子としては礼楽を中心とした秩序ある国を中国に復活せしめたい、たとえいま魯の昭公が七年間も国外に亡命しなければならなかったというような、君亡き状態におちいっているにしても、あくまでも先王の道は不滅であり、自信を失ってはならない、と弟子およびみずからをはげましたのであろう。

  

中華思想」はいつしか中国のDNAになった。中華思想があるがゆえに、対となる多様化の価値も理解できる。そんな風にこの言葉を読むことはできないだろうか。

 

 桑原によれば、韓退之(かんたいし)が、この「八佾」篇はすべて礼楽の基本を論じているのであって、この章は孔子が野蛮な夷狄をはげしく憎んでいるのだとしたという。孔子は時として激しい言葉を吐くことがあるので、ここもそのひとつであると考え、韓退之に従いという。

 さて、今の中国はどうなのであろうか。

 

 

 司馬遼太郎は、中華思想の根本となる儒家思想を批判し、そこには「平等」という概念がないという。孔子が重視する「礼とはつまり形式のことで、これを命懸けでまもってこそ人間社会と社会が成立する」(参考:Wikipediaと指摘する。それは、「形式主義こそ国家と人間の秩序にもっとも大切な物だ」ということを意味し、「儒教国家というものは自然のままの人間というものをみとめない。人間は秩序原理(礼)でもって飼い慣らしてはじめて人間になる」と、「韓のくに紀行」で書き述べているという。

街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)

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  司馬の批判も今の中国からすれば、正論のように聞こえる。また、司馬は「この国のかたち」で、宋学(新儒教朱子学)が主張する「異民族を打ち払え」のような思想は、孔子の主張にはなかったという。時代変遷とともに、孔子が弟子たちに教え諭した言葉も変化したということなのだろうか。

この国のかたち 全6巻 完結セット (文春文庫)

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「温故知新」、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以って師と為るべし(「為政第二」11)。

「古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある」と加地伸行は解した。

 宋学の発展も、孔子の教え「温故知新」に従っただけのことかもしれない。

 世界はダイバーシティ&インクルージョンを求め、SDGsとして記している。「温故知新」、中華思想をアップデートできたりはしないのだろうか。 

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

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【人にして不仁ならば、礼を如何せん】 家入一真とクラウドファンディング Vol.46

 

 子曰わく、人にして不仁ならば、礼を如何せん。人にして不仁ならば、楽を如何せん(「八佾第三」3)

  

(意味)

「人間としてだめであるならば、その人が学問だの、文化だの、と言っても始まらない。」論語 加地伸行

 

「仁」とは、主に「愛」を指すが、広くは人間として持つ「人の道」を指す。

  

 「」という言葉は、「論語」全篇にあらわれている多くの意味を統合したものであって、一言で定義することはむずかしいが、人間に対する愛情ととっておいてよいだろう。そうした仁を持たないような人間が、礼や楽を習ってみても、できようはずはない、もともと礼楽は、仁から生まれたものなのだからと桑原は解説する。

 

「礼」は規範を形に表現したものであり、音楽がそれに伴う。孔子学団の主たるカリキュラムはこの礼楽の学習だったという。知識、学問、文化の意を表すという。

「礼節は仁の貌(表現)」であり、「歌楽は仁の和(ハーモニー)」であるというそうだ。

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 

 2011年に家入一真さんがCampfireを立ち上げた。その後も進化を続けている。この9月に新たなクラウドファンディングキャンプファイヤーオーナーズを始めるという。

 このクラウドファンディングは現代の礼の形を現したものか。

 家入一真さんの著作を読み、彼の生き様を考えると、そこに映し出されるのは「仁」という言葉。彼が事業として始めたクラウドファンディングは、彼のその「仁」を表現したものではないかと思う。

 キャンプファイヤーオーナーズを始めるにあたり、家入さんは、『クラウドファンディングを通じて金融サービスへのアクセスを容易にして、金融包摂、フィナンシャル・インクルージョン(貧困者や小規模事業者などでも手軽に金融サービスを利用できるようにすること)を実現していきたい。』(出所:Forbes)という。

 そして、また、『購入型のクラウドファンディングを7年やってきたが、その中で、いくつかの課題が見えてきたからだ。例えばお金を集めたはいいが、リターンを返すことで疲弊してしまうプロジェクトオーナーもいた。例えば『ゲストハウスを立ち上げる』というプロジェクトなら、『無料で泊まれる』といったリターンを提供する。だが、そうではなくて、『日々の経営で得た利益の中から、資金を返済する』というほうが(事業と)相性がいいケースだってある』(出所:Forbes)ともいう。

 

 

クラウドファンディングでは、必ず出資していただいた人に何らかリターンする。いわゆるお礼だ。その「礼」の形を変えていく家入さん。

 

「人にして不仁ならば、礼を如何せん」

 

この言葉に家入一真さんの姿を見る

 

 (参考文献)  

融資型クラウドファンディング「CAMPFIRE Owners」2019年9月11日より投資家登録受付を開始|株式会社CAMPFIREのプレスリリース

 

forbesjapan.com

 

techable.jp

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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【天子穆穆たり】平成から令和に引き継がれる象徴天皇 Vol.45

  

 三家者(さんかしゃ)雍(よう)を以て徹す。子曰わく、相(たす)くるもの維(こ)れ辟公(へきこう)あり。天子穆穆(ぼくぼく)たり、と。奚(なん)ぞ三家の堂に取らん、と。(「八佾第三」2)

  

(意味)

「三家老が彼らで祖先祭祀を行ない、最後に供え物を下げるとき、天子の場合と同じく、雍の詩ならびにその楽を演奏していた。これを孔子は批判された。「雍の詩に、祭りの助力に集える諸侯がた。天子は気高く奥床しとある。三家老の祭祀を行なう堂に諸侯が応援に来るはずもないし、彼らの天子気取りは僭越。そこから、どうして雍の詩の意味を取れようか」と。」論語 加地伸行

 

「雍」は、詩の一つ。「徹」は、饌(供え物)を祭祀が終わって下げること。「徹饌」という。

「堂」は儀式を行う正庁のこと。 

「三家」は、魯国の臣下ながら実力者であった三桓 孟孫氏、叔孫氏、季孫氏のこと。魯君と三家との間には絶えず対立する緊張関係があったといわれ、孔子は魯君のために働こうと思っても、実質的には三家と妥協しながら、君主の地位や力を高めようとした。

 「論語」の中で、三家への批判の言葉がある一方で、三家との交流が描かれるのはそのためであると加地はいう。

 

 

  上皇になられた明仁天皇。そして、 徳仁さまが令和の象徴天皇となった。11月10日に天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が行われた。

 

 昭和期までは、天皇はいろいろと政治の道具としても利用されてきたのでなかろうか。そう思うと、昭和天皇のご苦労は計り知れないものであったのであろう。戦後に即位された明仁さまは象徴天皇として、天皇の新たな形をお示しくださった。国民と天皇の距離が縮まったとも言われる。

 

 天子穆穆たり

 明仁さまの言動に、そのお姿をみたような気がする。沖縄や戦争激戦地のご訪問、被災地へのご訪問、そして、その場所、その時々でのメッセージ。象徴天皇のあり方をご自身で定義されてきたように思う。

 

 徳仁さまも、皇太子時代からより国民と同じように暮らしているよう、うまく情報伝達されてきたと思う。

 

 天子穆穆たり

 明日、11月10日、  徳仁さまの「祝賀御列の儀」となる。新たな象徴天皇像をお作りになられていくのであろうか。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

【是れ忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん】何でもありの世界 原発の町高浜と関西電力 Vol.44

  

 孔子季氏を謂う。八佾(はちいつ)庭に舞わしむ。是れ忍ぶ可(べ)くんば、孰(いず)れをか忍ぶ可からざらん、と。(「八佾第三」1)

  

(意味)

孔子が季一族について密かに論評されたことがあった。季氏が自邸の庭で祖先の祭祀を行なうとき、天子しか許されない六十四人による納舞をさせた。こういうことを平気で行なうというのであれば、どのようなことでも平気で行なうことになるであろう、と。」論語 加地伸行

 

「季氏」、季孫氏のことで、三桓の筆頭。

 魯国君主の桓公の分家に、孟孫氏、叔孫氏、季孫氏の三家があり、三桓といわれ、魯国重臣として代々威勢があった。

 孟孫氏、叔孫氏が側室の子であったのに対し、季孫氏は正妻の子であったので筆頭格であった。季孫氏は自邸に桓公の廟を建てて他の二家と一緒に祭っていた。

 

 

 

 魯国の始祖周公は、周王朝から特別待遇を受けいたので、魯国で行う儀式は天子の儀礼並みであることが許され、そこで、魯君は天子の舞楽にあたる「八佾の舞」を祭祀の折に行わせていた。

 季孫子は祖先が桓公であるため、魯君と同等に「八佾の舞」を自邸で行ったという。これでは、主君と同格を示すのみならず、間接的には天子と同格になるので、孔子はそれを僭越と批判したと加地は解説する。

 この季孫子孔子の関係は長く続いていることから、これはおそらく大っぴらにに言ったのではなく、弟子に述べたものであろうと加地は言う。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 「三桓」、今ではいう上級国民というかんじであろうか。

 

 関西電力原発の町 高浜町の元助役との癒着が報道された。儀礼としての贈り物。儀礼とはどういうものなのであろうかと考えてしまう。

 何でもありの世界。常軌を逸した行為。論語をきちんと学んでほしいもの。

金品を提供したのは高浜町の元助役、森山栄治氏で高浜原発の誘致にも携わった。八木会長、岩根社長を含む関電の20人は2011~18年までお中元、お歳暮、社長就任祝いなどの名目で、現金のほか、背広、そうめんなどを受領したという。会見で岩根社長は「一時的に保管していた。地元の有力者で、返却を拒まれたので関係悪化を恐れた」と説明。20人全員が儀礼の範囲を超える金品はすでに返却したという。(出所:日経新聞) 

www.nikkei.com

 

 

  

経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)は27日の定例記者会見で、「詳細な情報が分かっていない」としたうえで、「八木さんも岩根さんもお友達で、うっかり変な悪口も言えないし、いいことも言えない。コメントは勘弁してください」と語った。(出所:朝日新聞デジタル) 

www.asahi.com

 

こういう人が日本経済界のトップとは.....

もう老害というしかない。お引き取り願いたい。

  

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なぜ香港のデモは終わらないのか 【義を見て為さざるは、勇無きなり】 Vol.43

  

 子曰わく、其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。(「為政第二」24)

  

(意味)

「自分たちの祖霊でない他者の霊を祭るのは、不義のものだ。逆に、義(ただ)しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである。」論語 加地伸行

 

 桑原の解説にはこうある。

 「鬼」は祖先の霊魂。子孫以外の者が、鬼を祭ってはならないのである。そうであるのに、自分の祖先の霊魂でもない、有力な他家の鬼を祭るのは、その有力者に対する諂いである。こうした祭祀に関してなすべきことと、なすべからざることを、はっきり見定めたうえ、なすべきことをせずにすますのは、勇気がない、つまり卑怯である、と解すべき。

 「義を見て為さざるは、勇無き也」という言葉は、そこだけ切り離されて、日本の武士道に大きな影響を与えた。現代の私たちでさえ、この言葉が決定的瞬間に正義の行為への発動を支えているように思われる。(論語 桑原武夫

 

 

 香港のデモ活動がなかなか収まらない。社会変化の兆しが見えるときに香港市民は声をあげ、デモを繰り返して起こしてきたという。香港市民に論語の思想をみるような気がする。

 その土地ごとの歴史がその土地の文化を作り出す。英国統治の長かった香港。その香港が中国に返還されたのを目撃した。中国支配を嫌い移住した人、返還を歓迎した人、様々な人々がいた。

 中国に返還されて22年あまり。まだ英国統治のなごりが残っているのだろうか。 

 今、香港は一国二制度下にある。

 

有力な他家の鬼を祭るのは、その有力者に対する諂いである

 香港は香港と思う人たちと、香港は中国の一部と考える人たちがいるのであろう。 

「義(ただ)しいもの」は個人が何を信奉するかによって異なるのかもしれない。

 

義を見て為さざるは、勇無き也

 香港市民の抗議は、表に裏にまだ続いている。 

  

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 (参考文献)  

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 
論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

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未来を考えると愉快【十世知る可し】 Vol.42

  

 子張問えらく、十世知る可(べ)きか、と。子曰わく、殷(いん)は夏(か)の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きなり、と。(「為政第二」23)

  

(意味)

「子張が質問したことがあった。「これから先、十も王朝が交替しましたら、そのことが分かりましょうか」と。孔子はこうお答えになられた。「殷王朝の文物・制度一般は、(その前王朝の)夏王朝のそれによって、変遷をしることができる。現在の周王朝の文物・制度一般は殷王朝のそれによって、変遷を知ることができる。ひょっとして現王朝の次の王朝が現れても、百代の後といえども同じくその変遷を知ることができる」と。」論語 加地伸行

 

 桑原は、以下のように解説する。

子張は、このあと周についで次々とあらわれるであろう十の王朝のことを、今から予知できるでしょうか、という大胆な質問をした。

 これから十番目の王朝のありさまが予知できるか、といのお前の質問は何かはったりめいて好ましくないが、お前のよく知っている礼楽をみても、それは予知できるはずではないか。殷の王朝は前の夏の王朝の礼制を受け継いだ、そのさい廃止(損)あるいは付加(益)したところはわかるはずだ。周王朝の殷王朝に対する関係も同じことである。したがってもし周を継ぐ王朝がいろいろでてくるにしても、十代どころか百代さきのことまで予知できるはずではないか、と孔子が答えたと解説する。

 孔子と子張の面白いやりとりである。

 大雑把な空論を排して、文明生活の中心と孔子の考える礼の問題として、合理的に確信をもって推論しようとする姿勢が美しいと桑原はいう。

 

 

「子張」、姓は顓孫、名は師、字名が子張。陳の人で、孔子晩年の弟子。もっと若く秀才といわれる。「礼」の専門家。

 「史記」に、「師や僻なり」とあるように、時として正統を離れる異説を好んだようであると、「子張」を桑原はそういう人物であったとみる。  

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 子夏と議論したときは、子夏の激しい調子を批判し、孔子のゆったりと相手の意見を聞く態度を学んでいないといい、さらに、小人の議論は、自分の意見だけが正しいと言い張り、目を怒らせ、腕をむき出しにし、早口で口から涎(よだれ)がたれ、目が赤くなり、勝を得ると喜びまわる等々と言ったという。

 

 

 桑原はこの章をこう解説する。

 孔子人間性の本質は永久不変性を信じて、その社会における具体的表現である礼なるものは、部分的改変はさけられないにしても、その基本は永続すべきものだとしたのである。孔子が、あの乱世に生きながら、あるいは乱世に生きることによって、人間的秩序の連続性を確認しえたことを壮とすべきであると桑原はいう。 

 また、仁斎、徂徠の解釈を紹介する

 仁斎は昔と今とはひどく違ったものではなく、舟で水を渡り、車で陸を行くのは「千古の前もかくのごとく、千古の後もまたかくのごとし」という。

徂徠は、今から過去を省みて損益されたところを明らかにするというのではなく、周が殷の礼において損益すべきところは、すでに殷王朝の過程において予知できたはずだ、だから周という今の時代においても十代後の王朝の礼制もまた必ず予知できるはずだ、と理論づける。

そして、人類の生活は人類発生から今日まで不変なものでは決してなく、まず農耕を知ることによって大きく変化したが、産業革命以降は第三段階に入り、その100年間の変化は過去数十世紀における変化よりも大であるとされると桑原は指摘し、地球が人口過剰で破滅に瀕してているときに、「生めよふやせよ、地にみてよ」という聖なる言葉はうつろに響かないだろうか、制度は変わっても人間性は永久不変という人の前に「試験管ベイビー」の可能性が提示され、「十世知る可し」といえるだろうかという。

ただ私たちが「十世知る可し」と言いうるためには、決意が不可欠であろう。非連続の深い自覚がへることなくして、安易な文明の連続をとなえることは、もはや許されない。

桑原の解説は、文学者らしさを感じる。

 

 

 自然は飛躍しない。

 人間も自然の一部。その思考もまた同じもの。

 孔子は、人間的秩序の連続性を指摘した。時代変遷とともに価値や秩序に変化があっても、その本質部分は変わらずに普遍的なこととしたのであろう。もう少し平易に言えば、言葉の表現は変化するが、本質に変化はないと。

 

 昔の人は、よく「義理と人情」と言った。今を生きる私たちには、もう陳腐化した言葉で、どこか古めかしい感じがする。その本質は、他人への配慮と気遣い、やさしさということかもしれない。それは現代を生きる私たちにもきちんと引き継がれている。

 

  言葉の変化を予測することは難しい。しかし、人間の普遍的価値は百代さきでも変化しないことであろう。

 

 

過去を遠く遡るほど、未来を遠くまで見通せる

 とウィンストン・チャーチルは言った。

 

 文明は進歩を続ける。果たしてゴールはあるのだろうか。

1000年後の未来を正確に予測することはできない。それでも、100年後くらいまでなら、おぼろげに想像することくらいはできる。子どもや孫の代にはこんな世界であって欲しいと。

 起業家たちは20~30年後の世界を夢見る。世の中の変化を眺め、大きな変化の前の小さな変化に注意を払う。 そして、人より少し早く5年後の未来を創ることから始める。

 

 科学技術も自然のように飛躍はしない。過去の積み重ねがあって進歩が生まれる。

    

 (参考文献)  

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 
論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

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言行一致を貫くイーロン・マスク【人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり】 Vol.41

  

 イーロン・マスクは少し突飛で、奇妙な感じもする。それも個性というものであろう。

 その彼によって始まったのがテスラ。そのテスラにイーロンが作った秘密マスタープランがある。

マスタープラン:

スポーツカーを作る
その売上で手頃な価格のクルマを作る
さらにその売上でもっと手頃な価格のクルマを作る
上記を進めながら、ゼロエミッションの発電オプションを提供する
これは、ここだけの秘密です。 (出所:テスラ公式ブログ)

 過激な発言も多いCEOになったイーロンが作ったシンプルなプラン。このプランの詳細は、テスラのWebページのブログでみることができる。

 

子曰わく、人として信無くんば、その可なるを知らざるなり。大車輗(げい)無く、小車軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行らんや。(「為政第二」22)

  

(意味)

「人間として言行一致がない。それでよいのだろうか。大車に横木がなく、小車にくびきがなければ、どのようにして動かせようか。」論語 加地伸行

 

 テスラは、ここままでにスポーツカーを作り、手頃な価格のEVの販売も始めた。もうすでに太陽光発電システムの販売も始めている。

 秘密のマスタープランの完成が見えてきている今、マスタープラン パート2へ移行すると宣言した。

 

マスタープラン パート2とは、

- バッテリー ストレージとシームレスに統合された素晴らしいソーラールーフを作ります。
- すべての主要セグメントをカバーできるようEVの製品ラインナップを拡大します。
- 世界中のテスラ車の実走行から学び、人が運転するよりも10倍安全な自動運転機能を開発します。
- クルマを使っていない間、そのクルマでオーナーが収入を得られるようにします。 (出所:テスラ公式ブログ)

 

イーロン・マスクの舌禍で色々報道されることも多い。

 しかし、ひとつひとつ実績を作ってきた。

 Model 3の日本での納車も始まった。

  言行一致を貫くテスラを、今、私たちは目撃している。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)