「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が問う戦争とは — 「加害者という被害者」を生む罪

第83回ベネチア国際映画祭で、塚本晋也監督のドキュメンタリー映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が若手審査員賞(金の子獅子賞)を受賞し、劇場での公開も始まった。

映画「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」戦争が心壊す様子に迫る 「野火」の塚本晋也監督:東京新聞デジタル

塚本晋也監督が語る、戦争を描き続ける理由。『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』 | ギズモード・ジャパン

本作の原点となったのは、アフリカ系アメリカ人のベトナム帰還兵、アレン・ネルソン氏が自らの悲痛な戦場体験を綴った著書である。

塚本監督がカメラを向けたのは、映画的なヒロイズムや戦場の凄惨さをいたずらに強調するドラマではない。「戦争とは、これほどまでに人間を破壊するものなのだ」という、簡潔にして決定的な事実そのものである。

加害者という被害者 —— 塚本晋也監督が手繰り寄せた肉声

本作が観る者の胸を強く突くのは、戦争を「被害」の側面からだけでなく、「加害者」の視点から肉薄している点にあるのではないか。

国家から「正義」の名のもとに武器を与えられ、人を殺めることを命じられた人間。任務を果たして日常へと戻った後も、その手に残った手触りと罪悪感は消え去ることがない。国家の大義の陰で、兵士自身の心が不可逆的に崩壊していく——。映画は、戦場が生み出す「加害者という名の被害者」の決して癒えることのない精神的葛藤を、冷徹なまでの誠実さで浮き彫りにしている。


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ボタン一つ、容易になった攻撃、破壊

ネルソン氏が語るベトナムの原風景から半世紀以上が経過した現在も、ウクライナや中東をはじめ、世界各地で終わりなき軍事衝突が続いている。そしてそこでもまた、新たな「加害者という被害者」が日々生み出され続けているのだろう。

しかし、現代の戦場はかつてと決定的に異なる変質を遂げた。それがテクノロジーの進化による「非人間化」である。

ドローンや遠距離精密誘導ミサイルが主役となった現代の戦闘において、兵士は画面越しに数値を入力し、ボタン一つを押すだけで目標を破壊する。そこには、相手の表情を見ることも、息づかいを感じることもない。かつてネルソン氏らを苦しめた「他者を殺める直接的な手触り」は遮断されている。

殺戮のプロセスから生々しい感情が脱落したことで、引き金は恐ろしく軽くなった。だが、手触りが消えたからといって、人間性の破壊が免除されるわけではない。相手の顔すら意識しないまま破壊のボタンを押し続ける行為は、自らの加害意識を麻痺させると同時に、より狡猾な形で兵士の内面を深く苛んでいく。テクノロジーによる距離の拡大は、戦争における精神の破壊をむしろ見えにくく、かつ深刻なものへと変貌させているのではないだろうか。

24時間で「観客」になる自分 —— 開高健が目撃した精神の麻痺

手触りのある現場であれ、画面越しの遠隔操作であれ、戦争という空間は人間の精神をどのように侵食していくのか。その恐ろしいメカニズムを、かつて自身の体験として克明に書き残した作家がいる。ベトナム戦争の最前線に従軍した開高健である。

1960年代、南ベトナム政府軍に同行した開高は、サイゴン郊外のジャングルで激しい伏撃戦に巻き込まれ、200人中わずか17人しか生き残らなかったという死線をくぐり抜けた。彼もまたネルソン氏と同様、戦場がもたらす深い精神的トラウマを背負うこととなった。

ルポルタージュ『ベトナム戦記』や小説『輝ける闇』の中で、開高に決定的な衝撃を与えた場面として描かれるのが、少年の公開処刑である。

初めて処刑を目撃した日、主人公である「私」は激しい身体的拒絶反応を起こし、猛烈な嘔吐に見舞われる。人間の倫理と痛覚が、殺戮という現実に悲鳴を上げた瞬間であった。しかし、衝撃的なのはその翌日、2度目の処刑を目撃した際の描写である。

わずか24時間が経過しただけで、「私」の心から前日のような激しい葛藤は消え失せていた。そこにいたのは、あたかも「2本目の映画を観ている観客」のように冷淡に、細部をただ観察するだけの存在へと変貌した自分であった。

たった一日で他者の死に対する感覚が完全に無麻痺となり、心が不感症化していくプロセス。開高健が描いたこの肉体の変質は、極限状態において人間が壊れてしまわないための防衛反応(脱感作)であると同時に、戦場という空間がいかに急速に人間の倫理を奪い、精神を狂わせていくかを物語っている。

国民を戦場へ送る罪 —— 『論語』が描く政治の道義

兵士の心を破壊し、個人の尊厳をすり潰しながら繰り返される戦争。この凄惨な構造の根底にあるものを考えるとき、2500年前の古典『論語』にはこう記されている。

子路第十三において、孔子はリーダーと民の関係について対照的な二つの章を遺している。

善人 民を教うること七年、亦(また)以て戎(じゅう)に即(つ)くべきなり。(「子路第十三」29)

教えざるの民を以て戦うは、是れ之を棄つと謂う。(「子路第十三」29)

すぐれた指導者は、道徳や生きる術、人と人との信頼関係を長年にわたってじっくりと教え込み、国民との間に強固な基盤を築いて初めて「国を守る」という試練に臨む。それに対し、十分な教育も準備も施さず、ただ結果や動員だけを求めて民を戦場へ送り出すことは、上に立つ者が民を大切にせず「見殺しに捨て去る(棄つ)」外道の極みであると、政治の根本を厳しく戒めている。

この教えを現代の戦場に重ね合わせるとき、指導者の無道さが浮き彫りになる。

国を守るという大義名分の裏で、何も教えられぬまま戦場へと投入され、手触りのある殺戮やボタンひとつの破壊行為によって自らの心を壊されていく兵士たち。指導者が道義を欠き、民の生きる基盤を省みずに「使い捨ての駒」として戦場へ放り込むとき、生み出されるのは無数の犠牲と、生涯癒えることのない「加害者という被害者」である。

戦争の本質とは、「論語」が示す、指導者が自らの責任を放棄して民を捨てるという「政治の倫理的破綻」そのものにほかならないのかもしれない。

(画像: 映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』公式 @nelsonsan_movie)

 麻痺する心、「冷ややかな市場」

こうして戦争の構造によって人間が使い潰されていく現実が広がる一方で、画面のこちら側にある私たちの日常は、恐ろしいほど冷淡だ。に覆われている。

その典型が、足元の金融市場の反応である。中東情勢が再度緊迫化し、エネルギー供給の途絶やドローン攻撃のニュースが駆け巡っても、株式市場が見せるのはかつてのような激しい狼狽(リスクオフ)ではない。

迫る「第2のホルムズ海峡危機」 サウジの原油パイプライン稼働停止 - 日本経済新聞

地政学的なリスクすらも「織り込み済み」のデータとして淡々と処理し、緊張の常態化に対して冷ややかな「慣れ」を決め込んでいる。

NYダウ反発509ドル高、原油高が一服 ナスダックも上昇 - 日本経済新聞

しかし、株価の反応が鈍いのは、リスクが消え去ったからではない。過剰な恐怖とニュースの氾濫に晒され続けた結果、人間の感覚そのものが麻痺しているからにすぎないのかもしれない。

半世紀前、従軍したジャングルの中で「2本目の映画を観ている観客」のように冷徹になっていく自分を恐る恐る観察した開高健。いま、連日のように流れる戦闘の映像やミサイル着弾のニュースを、感情を動かさずにスマートフォンの画面越しにスクロールする私たちもまた、開高と同じように「観客」になり下がってはいないだろうか。

戦場で兵士が内面を蝕まれていくように、安全な場所から悲劇をデータとして消費する私たちもまた、知らぬ間に「痛覚の麻痺」という病理に侵されているのかもしれない。戦争が常態化するこの時代に真に問われているのは、指導者の道義的欠如だけではない。画面の向こうで起きている他者の痛みを、自身の問題として繋ぎ止められるかという、私たち自身の理性のありようでもあるのだろう。

 


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(「Goodnight Saigon」、ビリージョエルのこの曲はベトナム戦争に派遣されたアメリカ海兵隊員たちの過酷な現実と、そこで結ばれた強い連帯感、そして帰還兵たちが抱えた苦悩を歌っているといわれています。ビリー自身はベトナム戦争への従軍経験はありませんが、同世代の多くの友人が戦地に赴きました。彼は、政治家が始めた戦争の理屈ではなく、「ただ生きて故郷に帰るために、お互いを守り合って戦った若者たちの絆」を等身大で表現しようとしたといわれています。サビで繰り返される「And we would all go down together(俺たちはみんな一緒に死ぬんだ / 一緒に乗り越えるんだ)」という歌詞に、その強いメッセージが集約されているといいます。当時、ベトナム戦争から帰還した兵士たちは、泥沼化した戦争に対する国民の批判の矛先を向けられ、社会的に孤立し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などに苦しんでいました。ビリーはこの曲を「彼らのためのレクイエム(鎮魂歌)」として作り、彼らが味わった恐怖や悲しみを共有することで、傷ついた帰還兵たちの心を癒やそうとしました。ベトナム戦争というアメリカの歴史の暗部を直視し、そこで犠牲になった若者たちの存在を忘れてはならないという強い社会的メッセージを持っているといわれます。映画的な派手さではなく、静かに事実を描写することで、戦争の悲惨さを後世に伝えています。

もう20年以上前にベトナムに旅行し、滞在したのは、開高が逗留していたサイゴン川ほとりの「Majestic Hotel」。戦争博物館を見学にいったこともあってのことだったのか、夕方サイゴン川の川辺に立った時、「And we would all go down together」という歌詞が心の中に流れたことをいまだに思い出します。)