「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

未熟な人類、身につかない徳、止められない分断

 

 多くの人命が失われる戦争を止めることができない。これほどに悲しいことはない。それほどに人類がまだ未熟であるということなのだろう。「正邪」「善悪」の基準さえ、まだ共有することができていそうにない。

「利に放(よ)りて行えば、怨み多し」(論語「里仁第四」12)という。

「私利私欲、利害打算だけで行動すると、他者から怨まれることが多くなる」という。今、世界で起きていることはこの言葉で説明できるのではないか。

論語に学ぶ

子貢(しこう)問いて曰わく、一言にして以て終身 之を行なう可き者ありや、と。子曰わく、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ、と。(「衛霊公第十五」24)

 弟子の子貢が「生涯、行なうべきものを、一字で表せましょうか」と質問した。すると孔子は「それは、だな。自分が他人から受けたくないことは、他人にもしないことだ」と答えたといいます。

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「恕」とは、思いやりのことを意味する。

 

 

 ロシア政府が、フィンランドスウェーデンNATO 北大西洋条約機構に加盟しても欧州に安定をもたらさないと警告したという。

スウェーデンとフィンランド、NATO加盟に意欲 ロシアは警告 - BBCニュース

 論語の教えに従えば、「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」(自分が他人から受けたくないことは、他人にもしない)という。まずは他国に警告を出す前に、ウクライナでの戦争を止めることではないだろうか。

子 顔淵に謂いて曰わく、之を用うれば則(すなわ)ち行ない、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯 我と爾(なんじ)と是れ有るか、と。

子路曰わく、子 三軍を行(や)らば、則ち誰と与(とも)にせん、と。

子曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)し、死して悔ゆる無き者は、吾 与にせず。必ずや、事に臨んで懼(おそ)れ、謀(はかりごと)を好んで而(しか)して成す者たれ、と。(「述而第七」10)。

 孔子が顔淵に、「自分を任用しようという者があれば、世の中へ出て活動する。しかし、見捨てられたら隠遁する。つまり、就職活動はしないが、求められればあえて辞せずに世に出て経綸を行なう。しかし、認められない場合には、静かに隠れてわが道を楽しむ。そうしたとらわれのない自由の境地、そこに到達しているのは、わしとお前だけだね」といったという。

 側にいた子路が少しやっかんで口を出したという。すると孔子は、子路をたしなめていった。「虎と組打ちしたり、大河を渡渉したりして、死んでもかまうものか、などという手合いとは、一緒に仕事することはできない。私の仲間としたいのは、ことにあたって慎重に構え、十分に計画を練って成功するような人間だ」と。

「暴虎」とは素手で虎と組打ちすること、「馮河」は大河をかちわたりすること、ともに無謀な冒険を指すという。

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 ロシアには顔淵のような行動が求められるのだろう。認められないなら、隠遁し、徳を高め、「恕」を養うというというところだろうか。

 一方、西側諸国、そしてそれに組する者たちは、孔子子路への言葉の意味を考えるべきなのだろう。無謀な冒険のような行動には出ず、それでも和平を実現できるよう謀を行う。

 

 

 「正邪」「善悪」の基準が共有できれば、戦争を止めることができ、平和と実現できるのだろう。そして、「恕」思いやりの意味を知ることができるのかもしれない。