「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

傲慢さ、不誠実、繰り返される前言撤回【武士に二言はない】 ~武士道 #6

 

 国が酒の販売事業者に対し、酒の提供停止に応じない飲食店との取り引きを行わないよう求めていた要請を撤回したといいます。その前には、西村経済再生相の発言が問題視され、前言を撤回、謝罪していました。発言内容の傲慢さが忌み嫌われ、批判が集まり、そうした世論を無視できなかったからでしょうか。

 為政者の発言がたびたび問題になり、それを撤回する行為が増えています。

 

武士に二言はない

 慇懃無礼という言葉があります。「あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま」。「表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま」を表す言葉です。

 かつて武士はこうした行為をひどく嫌ったといいます。そこには武士が重視する「誠」がないからだと言われます。

「真実性と誠意がなくては、礼は道化芝居か見世物のたぐいに陥る」と、新渡戸稲造が「武士道」で言います。

 今の政治を言い当てているのでしょうか。 

 かつての武士は自分たちの高い社会的身分を考慮し、より高い水準の「誠」を求められていたと、武家出身の新渡戸はいいます。

 武士の一言は、断言したことが真実であることを真実であることを十分に保証するものであった。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳:奈良本辰也 P72)

 ここから「武士に二言はない」と言われるようになり、約束はおおむね証文無しで決められ、かつ実行されたといいます。武士の美学「言行一致」に通ずるともいいます。 

 

 

論語の教え

 意外にも「論語」には、「誠」を使う言葉はあまり登場しません。この「誠」ということは武士道特有のものと言ってもいいのかもしれません。

君子重からざれば、則ち威あらず。学びても則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」(「学而第一」8)との言葉があります。  

 現代語訳は、「上に立つ者は、重々しい態度をしていなければ威厳がたもてない。つまり、人民にあなどられるだろう。上位者には学問をしていないものが多いが、それでは考えが固定して融通がきかない。学問をしなければならない。

「忠」とはまごころ、「信」は約束を違えぬこと

「忠信」とはそうしたよい性質をもつ人間を指す

まごころがあって嘘をつかない人と馴れ親しんで、自分より劣る者を友人とするな。過ちをおかしたならば、素直に改心して改めるべきである。こだわってはならない」となります。

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論語」でいう忠信が武士道の「誠」に近いのではないでしょうか。しかし、孔子はあっさりと誤ったなら、前言を撤回せよと勧めます。

過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿れ

過ち一般についての訓戒であって、孔子はいい損なった場合には「前言は之れに戯るる耳」(「陽貨第十七」4と)いいえた人である。

陰湿なこだわりのまったく感じられないのが、孔子の立派さであって、ミスはミスとして素直に改めよという、これはきわめて有益な、効率の高い実践的教訓としている。

これも上位者は威厳を守るために、おのれのミスを認めまた改めることを嫌う傾向が強いから、適切な訓戒と言える。 (引用:「論語桑原武夫

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 為政者ももう少し言葉を大切にし、伝わらないのであれば、また違った表現で伝えていくことも必要であるといっているようにも受け取れます。

 ただ、度重なる前言撤回では甚だ困ったことではありますが。

 

  

息づく「武士道」 

「誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし」とは、孔子の「中庸」に出てくる言葉で、新渡戸はこれを引用し、「誠」を説明します。

 至誠は広々として深厚であり、しかも、遥かな未来にわたって限りない性質をもっている。

そして意識的に動かすことなく相手を変化させ、また意識的に働きかけることなく、みずから目的を達成する力を持っている。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳:奈良本辰也 P71)

 そして、新渡戸は、「」の字は「言」と「成」からなるといいます。

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 もしかしたら私たちは、こうしたことを為政者に知らず知らずのうちに求めているのかもしれません。

 それゆえ、「武士に二言はない」はず、前言撤回を蔑み、許せないと感じるのかもしれません。 

 

 「関連文書」

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「参考文献」