子曰わく、吾(われ)の人に於けるや、誰をか毀(そし)り誰をか誉めん。如(も)し誉むる所の者あらば、其れ試みし所有ればなり。斯(こ)の民や、三代の直道(ちょくどう)にして行なう所以(ゆえん)なり。(「衛霊公第十五」25)
(解説)
孔子の教え。「私は他者に対して非難したり称賛したりしない。もし称賛した人物があったとしてならば、それは検討した結果だからだ。そういう人たちは、三王朝の人々が心をゆがめることなく行動できたわけと同じである」と。(論語 加地伸行)
「憲問第十四」25で、孔子は、蘧伯玉(きょはくぎょく)の使者を「使なるかな、使なるかな」と誉めていた。
孔子は、謙遜しながらも主人を褒めるその使者のその態度を誉めつつ、「蘧伯玉」をも誉めたといわれる。
「公冶長第五」24では、隣の家から酢を借りてきた微生高を孔子が批判したと加地は解説した。
一方、桑原は微生高を、「いい男ですよ、世間の貼るレッテルなぞあてにならないさ」とよんだ。
「直」とはまっすぐであること、剛直で融通がきかぬという含みもありそうだと指摘する。
人を無闇に批評することの難しさがあるということなのだろう。
孔子は「為政第二」23 で、「殷は夏の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖も知る可きなり」という。
殷の王朝は前の夏の王朝の礼制を受け継いだ際、廃止(損)あるいは付加(益)したところはわかるはずだ。周王朝の殷王朝にたいする関係も同じことである。したがってもし周を継ぐ王朝がいろいろでてくるにしても、十代どころか百代さきのことまで予知できるはずではないか(出所:「論語」桑原武夫)
孔子は、人間的秩序の連続性を指摘した。時代変遷とともに価値や秩序に変化があっても、その本質部分は変わらずに普遍的なこととしたのであろう。
孔子は「周は二代に監(くら)ぶれば、郁郁乎(いくいくこ)として文(あや)なるかな。吾は周に従わん」(「八佾第三」14)ともいう。
「周は、その前の夏・殷二代に比べると、華やかに発展している。私は周の文化に従う。」と加地は解説する。
人は前の時代の何を引き継ぎ、それを自らの性格の一部にしているのだろう。
そして、過去を懐かしんだり、未来を憂うのではなく、今この時を「楽」することが肝要なのであろう。
(参考文献)