子曰わく、志士、仁人は、生を求めて以て仁を害(そこ)なう無く、身を殺して以て仁を成す有り。(「衛霊公第十五」9)
(解説)
孔子の教え。「人間としていきたいと思う者(志士)や、人の道に生きようとする者(仁人)は、ただ生きていることのみを求めるあまり、人の道を損なって平気というようなことがなく、逆に、生命を捧げてでも人の道を全うとするのである」。(論語 加地伸行)
「志士」の志は、「仁(人の道)」に志すと加地は解する。
この章を読むと、「述而第七」14に登場した「伯夷、叔斉兄弟」を思い出す。
「伯夷、叔斉兄弟」は、周国の君主が殷王を倒そうとしたとき、下克上になるとして反対したが、君主はそれを押し切って兵を進め、殷王朝を倒して周王朝を建てた。この兄弟は、君主が逆賊とみなし、周国の作物を食べることを拒否、首陽山に逃れ、その山中で山菜を食べて生活したが餓死したという。
この章が意味するのはこうした行為なのだろうか。
「仁 以て己が任と為す。亦 重からずや。死して後已む。亦遠からずや」
「泰伯第八」7で、曾子が言った言葉。
「死して後已(や)む」、 生命を投げ出して死ぬことによってのみ、任務が完成しうるという意味ではないと桑原は解説した。
「身を鴻毛(こうもう)の軽きに比す」という言葉の大好きな日本人は、生命さえ捨てれば万事解決、と思いがちだが、「死して悔いなき者は、吾れ与(とも)にせざるなり」(「述而第七」10)というのが孔門の本領である。
人間は死の瞬間まで務めねばならぬ、生きているかぎり任務から解放されることはないとするのだ。
この章の加地の解説では、武士の生き様を美化しているように聞こえてしまう。
「泰伯第八」13で、孔子がいった「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くし、危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず」という言葉を桑原は、「学問に対する信頼感を深くしつつ学問を愛し、おのれの信ずるところを守って正しい道において生命を終える。危機に瀕した国には足を踏み入れず、無秩序に陥っている国にはとどまっていない」と解した。
加地が解説することも理解はできるが、現代ではなかなか受け入れ難いものがあるのかもしれない。桑原が言う通り、「人間は死の瞬間まで務めねばならぬ、生きているかぎり任務から解放されることはない」と解釈したほうがよいだろう。そして、その任務こそが、「仁」人の道ということであろうか。
「泰伯第八」13 の後段に、「天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」とある。
これだけ国難といわれる時期に、総務省問題が起こることに疑問を感じる。
邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり
問題を起こす人たちは、今ある社会が秩序だったものに見えているのだろうか。このままでは社会が善くなることはないのかもしれない。
言葉足らずに思えてならない。
「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事(つか)うるに忠を以てす」
「礼」:規範、「忠」:まごころとかを感じられることがないのが、今の政治の世界なのだろうか。
(参考文献)