「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【志士、仁人は、生を求めて以て仁を害(そこ)なう無く、身を殺して以て仁を成す有り】Vol.387

 

子曰わく、志士、仁人は、生を求めて以て仁を害(そこ)なう無く、身を殺して以て仁を成す有り。(「衛霊公第十五」9)

 

(解説)

孔子の教え。「人間としていきたいと思う者(志士)や、人の道に生きようとする者(仁人)は、ただ生きていることのみを求めるあまり、人の道を損なって平気というようなことがなく、逆に、生命を捧げてでも人の道を全うとするのである」。論語 加地伸行

  

 「志士」の志は、「仁(人の道)」に志すと加地は解する。

 

 この章を読むと、「述而第七」14に登場した「伯夷、叔斉兄弟」を思い出す。

 「伯夷、叔斉兄弟」は、周国の君主が殷王を倒そうとしたとき、下克上になるとして反対したが、君主はそれを押し切って兵を進め、殷王朝を倒して周王朝を建てた。この兄弟は、君主が逆賊とみなし、周国の作物を食べることを拒否、首陽山に逃れ、その山中で山菜を食べて生活したが餓死したという。

 この章が意味するのはこうした行為なのだろうか。

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「仁 以て己が任と為す。亦 重からずや。死して後已む。亦遠からずや」

「泰伯第八」7で、曾子が言った言葉。

「死して後已(や)む」、 生命を投げ出して死ぬことによってのみ、任務が完成しうるという意味ではないと桑原は解説した。

「身を鴻毛(こうもう)の軽きに比す」という言葉の大好きな日本人は、生命さえ捨てれば万事解決、と思いがちだが、「死して悔いなき者は、吾れ与(とも)にせざるなり」(「述而第七」10)というのが孔門の本領である。

人間は死の瞬間まで務めねばならぬ、生きているかぎり任務から解放されることはないとするのだ。 

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この章の加地の解説では、武士の生き様を美化しているように聞こえてしまう。

 

 「泰伯第八」13で、孔子がいった「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くし、危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず」という言葉を桑原は、「学問に対する信頼感を深くしつつ学問を愛し、おのれの信ずるところを守って正しい道において生命を終える。危機に瀕した国には足を踏み入れず、無秩序に陥っている国にはとどまっていない」と解した。

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 加地が解説することも理解はできるが、現代ではなかなか受け入れ難いものがあるのかもしれない。桑原が言う通り、「人間は死の瞬間まで務めねばならぬ、生きているかぎり任務から解放されることはない」と解釈したほうがよいだろう。そして、その任務こそが、「仁」人の道ということであろうか。

 

「泰伯第八」13 の後段に、「天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」とある。

 これだけ国難といわれる時期に、総務省問題が起こることに疑問を感じる。

 邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり

問題を起こす人たちは、今ある社会が秩序だったものに見えているのだろうか。このままでは社会が善くなることはないのかもしれない。 

 

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 言葉足らずに思えてならない。 

 

 「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事(つか)うるに忠を以てす」

「礼」:規範、「忠」:まごころとかを感じられることがないのが、今の政治の世界なのだろうか。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫