子曰わく、晋の文公は譎(いつわ)りて正しからず。斉の桓公は正にして譎らず。(「憲問第十四」15)
(解説)
孔子の教え。「晋国の文公は、いつわりの道を踏み、正義の人ではなかった。斉国の桓公は、正義の人であり、いつわりの道を踏まなかった」。(論語 加地伸行)
「文公」、「桓公」、それぞれ時期は異なるが、諸侯の上に立ち覇者となり、大会盟を行ったという。
「文公」は本来なら天子の下に諸侯が集まるべきところを、自国に諸侯を集めたのみならず、狩りという名目で天子を自国に呼び寄せたという。
「桓公」は、周の昭王が楚国に赴いたとき、謀殺されたことがあった。桓公はその罪を問い、楚を討つことを宣言、天子中心の立場であったという。
(参考文献)