「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【知者は水を楽み、仁者は山を楽む】 Vol.144

 

子曰わく、知者は水を楽(この)み、仁者は山を楽む。知者は動、仁者は静。知者は楽しみ、仁者は寿もてす。(「雍也第六」23)

  

(解説)

孔子の教え。知者は川にほれぼれするが、仁者は山にだ。知者は活動的、仁者は静止的。知者は楽しんで生き、仁者は天寿のままにつつがなく生きる。」論語 加地伸行

 

 「楽水、楽山」の「楽(ごう)」は愛好するという意味。この「楽(ごう)」と「知者楽」の「楽(らく)」楽しむと、さらに音楽の「楽(がく)」と、それぞれは発音、意味が異なると加地は指摘する。

 「寿」は、ふつう「いのちながし(長命)」と読むが、文意は人の生き方のことであるので、知者の「楽しむ」のに対し、仁者は、運命として与えられた寿命に静かに従う境地という生き方と加地は解釈する。

 

 

 一方、桑原は、きわめてポエティックな象徴的な章であるという。

 孔子は知を楽より二段階下においているが(「雍也第六」20)、一般に「論語」では理知を徳行よりいささか低く見るのが後世の学者に普遍化している考え方のようだが、この章では知者と仁者を高低なく、むしろ人間類型におけるふたつの優れたタイプとして提出しているものとみたいという。 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 優劣を離れて二つの類型とみれば、俊敏と重厚、行動と静観、追求と安居、努力と幸福、など多くの対比が考えられる。水も山もともに楽しむものであって、一方が好まれるのでない。

 孔子は水も美しい、山も美しい、とみているという。知者は楽しむ、の場合の楽しむには上品な意味での快楽、エピクロスが求めたようなものとしての快楽の語感がある。仁者は快楽を否定する禁欲主義者では決してないが、歓楽をたのしみにまで減速濾過することによって、生命を静かに永くするのであるという

「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」というのは、昔から言い伝えた決り文句であって、孔子の発言ではないという。以下は孔子の注釈だとするのが、徂徠の説であるという。

 教訓的な加地の指摘も理解はするが、仁者、知者、どちらか一方を好むということではないといする、その言葉の表現から桑原説に従いと感じる。

 

 

知者は動き、仁者は静かなり。

知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし。

 兎角、世の中では知者が評価されがちで、そのような生き様に「憧れ」を抱くのかもしれないが、今コロナの時代になっては、仁者の心構えを知れば、その価値が上がるのではないかと思ったりする。

  

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫