「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

裏金工作か、政界でも不祥事、秩序を失っていく日本

 告発された自民党政治資金パーティー問題をめぐって、最大派閥安倍派(清和政策研究会)が組織的に裏金作りを続けていた疑いがあると取材でわかったといいます。裏金の総額は直近5年間で1億円を超えているそうです。

安倍派、1億円超の裏金か パー券ノルマ超えを還流 地検が立件視野:朝日新聞デジタル

東京地検特捜部の任意聴取に対し、安倍派の関係者がこうした運用について説明していることも判明。特捜部は、故意性が強い上に規模も大きいとみて、政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)容疑での立件を視野に調べている模様だ。(出所:朝日新聞

 立法を担う国会議員たちが規範意識もなく、法律を悪用しているのであれば、言語道断です。質の悪い話で、法の支配を自ら崩壊させているようなものです。

 

 

 政界での不祥事も酷いものですが、企業での不祥事も同様です。日替わりで次々と不祥事が明らかになり、信じがたいことも多く露見しました。

楽天部長は98億円、ソフトバンク部長は12億円…なぜ「大企業の部長クラス」は巨額詐欺に手を染めやすいのか 高い自己効力感が不正への罪悪感を希薄化する | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 こうした状況を鑑みてのことなのでしょうか、不祥事研究がさかんに行われているようです。

コンプライアンス法令遵守)重視の流れで、業務プロセスの細やかなルール化や承認制、eラーニングなどのコンプライアンス研修などを増やす企業が多い。しかし、多すぎるだけで現場感の希薄なルールやマニュアル、自分ごと化されない研修トレーニングは、形式的にこなされるがために効果がほとんどない。(出所:プレジデントオンライン)

 「ルール」や「管理」で人の行動を縛ろうとするコンプライアンスでは、個人の仕事の「ブラックボックス」を防げないといいます。これを社内外での人のつながりやネットワークで埋め、組織的な視点でのコンプライアンス対策を進めていく必要があるといいます。

「恥の文化」をとり戻そうとの試みのでしょうか。「恥の文化」は他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律することで、かつての日本人の特色と言われました。

西欧的な罪の文化では、道徳は絶対的な標準をもつものとされ,個々人が良心による内面的な罪の自覚に基づいて行動を律している。それに対して日本人の生活に見られる恥の文化は、他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律するという。したがって前者では、自分の非行を誰一人として知らなくとも罪に悩むのに対し、後者では、露顕しなければ恥ではなく、思いわずらうことはない。(出所:コトバンク

「バレなければいい」、政界、企業にある不祥事を見ると、これが背景にあるのではないかと思えます。また独りよがりや自分さえよければとの考えのもとになっているのかもしれません。組織、集団にまでこうした風潮が蔓延するようになっているのが今日ではないでしょうか。

 

 

論語に学ぶ

管仲の器小なるかな、と。或ひと曰わく、管仲倹なるか、と。曰わく、管氏三帰(さんき)有り。官事(かんじ)摂(か)ねず。焉(いずく)んぞ倹なるを得ん、と。然らば則ち、管仲は礼を知るか、と。曰わく、邦君は樹(た)てて門を塞ぐ。管氏も亦樹てて門を塞ぐ。邦君両君の好(よし)みを為すに、反坫(はんてん)有り。管氏も亦反坫有り。管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん、と。(「八佾第三」22)

 孔子が「管仲の器量は小さい」といいました。ある人が「それは管仲がケチな男ということですか」と尋ねます。孔子は「管殿は三か所もの邸宅を構えており、それぞれ家臣が専任でいる。どうしてケチであろうか」と答えます。すると「そういう贅沢をしていましたのなら、臣としての礼が分かっていたのでしょうか」問い重ねてきたので、孔子は「国君の場合、域内にあるその邸第の門を入ると、前に目隠し用の土塀を作っている。管殿は自邸の門内に土塀を築いていた。また国君の場合、諸侯が出会い友好を深める際、会場となる堂に反坫という土製の台を設け、儀式で酒を使うとき、そこに杯を置く。この反坫を家臣の管仲が自邸の堂に設けていた。国君気取りの管殿をもし臣としての礼が分かっていたとするならば、この世に礼を知らぬ者などはない」と答えたといいます。

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管仲」、桓公に仕え、覇者に押し上げ、事実上の最高指導者といわれる人物です。三国志に登場する諸葛亮孔明の才能と匹敵するといわれ、諸葛亮自身も管仲と比していたといわれます。 

 孔子は「管仲」の功績と能力を評価する一方、この章にみるようにその非礼さを問題視します。「管仲」が没すると、国は再び乱れていったことがその理由なのでしょうか。礼や規範を軽んじることがあってはならないと言いたいのかもしれません。

「ルール」や「規範」、「マナー」に「礼」、これらに従うとは自己を律することです。こうした素養を身につけて、みなが仲良く平和に暮らすこともできるはずです。こうした大切なことが忘れられはいないでしょうか。それ故の混乱であり、無秩序なのかもしません。

 

 

「参考文書」

企業の不正・不祥事はなぜなくならないのか ~調査結果から見えた「共同体主義」という病根~ - パーソル総合研究所

24時間テレビ「募金着服」よりマズい最大の問題 すでに番組そのものが時代に合ってない可能性 | インターネット | 東洋経済オンライン