「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【日本の同質性】停滞を続ける日本に欠けているのは多様性なのか

 

 日本の停滞性と、日本の組織における同質性の関わりが指摘されています。これまでの日本の強みが、弱みへと変化しているといわれているようです。

グローバル化や技術革新など絶え間なく変化するビジネス環境への適応能力に不安があり、イノベーションも起こりにくく経済の成長が鈍化している。(出所:ヒューマンキャピタル・オンライン)

 一方、ダイバーシティ 多様性とイノベーションには、正の相関関係があるという研究結果があるそうです。

 これを捉えて、「ダイバーシティ・マネジメントによって多様な人材を生かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することでイノベーションを生み出し、価値創造につなげていくことが重要」との見解を人事院総裁の川本裕子氏が示しているといいます。

 

 

求められる改革、理想的な国家公務員から乖離している現実

社会情勢が急速に変化する中で、世界最高水準の行政サービスを国民に提供することが、国家公務員の務めである(出所:ヒューマンキャピタル・オンライン)

「人が育つ組織とは」―人事院総裁が語る | Human Capital Online(ヒューマンキャピタル・オンライン)

 記事によれば、こうした考え方の下、行政を支える公務組織は、国民本位の能率的で活力のある組織としてあり続ける必要があると人事院総裁は述べているそうです。

 その上で、今後の最重要課題は「人」であり、能力のある多様な人材を継続的に採用して戦略的に育成するとも語ったといいます。さらに「人々が生き生きと働ける意欲とやりがいを持って働き続けられる職場になる、そういう処遇を目指す、そのような職場になれば能力のある人たちが入ってきてくれるという好循環につながる」との見解を示したそうです。

 行政組織がこうした考えの下、率先して現実的に改革が進められれば、社会の空気感に変化が起きるのかもしれません。

 

 

論語に学ぶ

君子は器にならず。(「為政第二」12)

「器」はすべて特定の用途のために作られ、それ以外の用途には適さない。舟は水に浮かべるが山に登れない、車は陸を行くが海は渡れない。

 君子 教養人は用途のせまい器のような専門家であってはならないと意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

 また、君子 教養人は、大局を見ることのできる人との解釈もあります。

 孔子は「君子」を「美的修養」に努めることのできる人間としています。

 孔子が生きた古代においては洋の東西を問わず、教養のあるのは上層身分の人間だけであって、下層の人間には文化はありえないと考えるのが一般的だったといいます。

 ところが孔子は、「美的修養」を貴族社会のみに閉じ込めるのではなく、むしろこれを漸進的に下の階級にも浸透させたいと思っていたのであろうといいます。

 一方、江戸期の儒学者荻生徂徠は、この言葉を政治的に捉えて、一般官吏と一般庶民はそれぞれに「器」技能を持たねばならないが、支配者は、この様々な「器」を使いこなさなければならず、特定の技術者であることを避けるべきとし、そう振舞えるのが「君子」としているといいます。

 

 

学び直しと美的修養

 かつての働き方改革が「美的修養」を身につけた君子によって率いられていたら、今日は社会ももう少し違ったものであったかのかもしれません。

 君子の心得のないカリスマリーダーに率いられたばかりに、その価値観が押しつけられ画一的になって、同質性に拍車がかかったのかもしれません。

 そうしたときが過ぎ去った今、孔子が教え諭すように、すべての人が特定の技能を持ちながら、同時に広い視野と行動力を持ちうるようになるべきなのかもしれません。

 専門性に加え幅広い教養をどう身につけていくか、また変わる環境に合わせ、これらを常にアップデートすることが求められているそうです。

 「学び直し」とともに、「学び続ける」ことも求められているのでしょう。

専門性と停滞性

 いつの時代にあっても「専門性」は求められるものです。それを極めれば、高収入も期待できるのかもしれません。ただみなが「専門性」を頼りにするばかりで、それを束ねて活かすことをおろそかにすれば、そこから停滞性が生まれるのかもしれません。