ドローンなど無人航空機の登録を義務付ける制度が始まったといいます。ドローンが様々な分野に活用される一方で、事故やトラブルが増加しているそうです。
無登録の飛行を禁じ、事故やトラブルの際、所有者を速やかに特定する狙いがあるそうです。
ドローン きょうから所有者情報の登録義務化 違反で罰則も | NHK
NHKによれば、愛知県内の国道を走っていた乗用車に小型のドローンが衝突する事故もあったそうです。乗用車を運転していた会社員が、ドローンを操縦していたとみられる男性を広場で発見し、声をかけたところ、「当たった?」と言われたそうです。会社員が警察に連絡すると、その男性は立ち去ったそうです。
こうした事例からすれば、規制が必要なのでしょう。
その一方で、ドローンへの注目は高まり、操縦技術などを学ぶスクールも活況を呈しているそうです。仕事に生かしたいという人や、就職活動でアピール材料にしたいという学生もいるといいます。
テクノロジーの進歩が活気を生み出し発展が続いていきます。こうして文化も華やぎ、時代は前々と進んでいきます。自分の心は不変のものと人は信じますが、こうした社会的な環境の変化を受けて、人の心も変わっていくものなのかもしれません。
これまでにない魅力ある商品を使うことで夢中になるあまり、ついつい人への配慮や思いやりを忘れてしまい、それが事故やトラブルの原因になってしまうのかもしれません。規制が強化され、ルールが厳格化されているの避け得ないのでしょうか。
元々、他者への思いやりなどを形として見えるようにしたのが「礼」といいます。こうしたことから規範が生まれ、社会秩序が保たれるようになります。
論語に学ぶ
人にして不仁ならば、礼を如何せん。人にして不仁ならば、楽を如何せん。(「八佾第三」3)
「仁」とは、「論語」全篇にあらわれている多くの意味を統合したものであって、一言で定義することはむずかしいといいますが、広義にとれば、人間に対する愛情といいます。
そうした仁を持たないような人間が、礼や楽を習ってみても、できようはずはない、もともと礼楽は、仁から生まれたものと解釈します。転じて、「人間としてだめであるならば、その人が学問だの、文化だの、と言っても始まらない」と意味します。
そうであるなら、「仁」を育む教育が必要ということなのでしょうか。
一方、教育の現場では、最近ブラック校則が問題視されるようになっています。ルールの本来の意味が失われ、不必要なことまで縛り付けることが起きているのでしょうか。
NOをなくすと面白くなる? NO「NO」法 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
これがダメなら、あれもダメかも。ネガティブなルールは次々と連鎖して、「ダメかもしれない可能性」を想像させ、人を動けなくさせてしまう。NOの力はとても強力で、その短い一言が想像以上に多くのものを奪っていきます。(出所:Forbes)
「キャラものの筆箱」を例にして、トラブルが起こるかもしれないからNOという、グレーゾーンをすべて黒にしてしまうネガティブなルールのつくり方が蔓延し、それはトラブルを起こさない人たちが享受できたはずの喜びや、想像力を奪ってしまっているのではないかと、Forbesはいいます。
子夏問うて曰わく、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盼(へん)たり。素以て絢(けん)を為すとは、何の謂いぞや、と。子曰わく、絵事(かいじ)は素を後にす、と。曰わく、礼は後か、と。子曰わく、予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言う可(べ)きのみ、と。(「八佾第三」8)
弟子の子夏が「詩経」の「衛風」の「磧人」篇の中にある詩句を引用して、「笑顔うるわし。眼元涼やか。白粉の美しさ」とありますが、どういう意味でしょうかと質問したといいます。
孔子は「絵を描くときは、まずは色を使う。そのあと白色を色の間は塗って完成するのだ」と答えたといいます。
子夏はさらに「教育が先で、礼は後ということでしょうか」と質問し、孔子は「私の言わんとするところを表してくれるのは、商(子夏)君だ。お前となら詩を語り合える」と答えたといいます。
人間はまず忠信の人でなければ礼の末節にこだわっても仕方がない、という意味もあるそうです。
ルールで縛るばかりではなく、教育としてなすべきことがありそうです。