アフガニスタンがあっけなく幕切れになりました。大統領が国外に逃亡し、駐留していた米軍も撤退あるのみなのでしょうか。
国が倒れるにはそれなりに理由があるはずです。政権を倒す側には大義があり、敗者にはその大義に勝る徳がなかったということなのでしょう。ほぼ無抵抗でのカブール入城だったのでしょうか。
斉(せい)一変すれば、魯に至らん。魯一変すれば、道に至らん
論語「雍也第六」24にある言葉です。
「斉国がその態度を改めるならば、魯国のようになれるだろう。その魯国も改革があるならば、王道となれるだろう」との意味です。
武力による制覇の覇道と、徳治による統治の王道とがあるといいます。
アフガニスタンでは昨年、2人の指導者が同時に大統領就任を宣誓する異常事態が起きたといいます。国外逃亡したガニ大統領とアブドラ氏。アフガニスタンの分裂と政治の混乱を象徴しているといわれていました。
多民族国家アフガニスタンは、地方に軍閥などが群雄割拠し、1つにまとまることが難しく、建国以来一度も平和が訪れたことがないといわれます。
覇道、武力による統一なくして、国家としての統一はないのでしょうか。
君子之に居らば、何の陋しきことか之れ有らん
「子 九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲す。或(ある)ひと曰わく、陋(いや)し。之を如何せん、と。子曰わく、君子之に居らば、何の陋しきことか之れ有らん」と、「子罕第九」14にあります。
孔子が、いっそうのこと東方の夷(えびす)の国にでも行こうかとこぼし、ある人がこう言った。「東夷は野鄙(やひ)なところですぞ。どうされますか」と。すると孔子はこう言ったいいます。「君子 教養人がそこに住むならば、どうして野鄙なことがあるだろうか」
乱れているアフガニスタンにも在野に君子といえる人物はいるのではないでしょうか。
新しい覇者の中から君子は登場するのでしょうか。
内戦が起きたり、テロの温床にならないことを願うばかりです。
ふと、アフガニスタンに凶弾に倒れた中村哲さんの言葉を思い出します。
2001年の米同時テロの犯人をかくまったとして、米軍などがアフガニスタンを攻撃、自衛隊による後方支援を可能とする特別措置法案が国会で審議されたとき、中村哲医師が参考人として特別委員会に出席し、「自衛隊派遣は有害無益」と強調し、必要なのは飢餓対策だと訴えたといいます。議員からはヤジを浴び、発言の取り消しを求められたそうです。
西日本新聞によれば、中村哲さんが好んで使った言葉に「一隅を照らす」があったといいます。
「今いる場所で希望の灯をともす」
水不足で小麦が作れない住民たちは現金収入を得るため、乾燥に強く、ヘロインやアヘンの原料となるケシの栽培を広げていた。
「農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」。
地下水に頼るかんがいの限界を知り、用水路の建設を始めた。 (出所:西日本新聞)
アフガニスタンに求められていたのは、軍事支援ではなく、中村哲さんの遺志を引き継いだ活動だったかもしれません。
「一燈照隅万燈照国」
最澄が説いた言葉といわれ、一つの灯火だけでは隅しか照らせないが、その灯火が万という数になると国中を照らすことができるという意味です。
地道に、継続的な活動が求められているのでしょう。足元では支援が困難になっているのかもしれませんが....