「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【真の知恵は確固たる決意】慈善活動するギャングのアルカポネと謝罪を続けるメンタリスト ~セルフヘルプと論語 #4

 

 メンタリスト問題が尾引いているのでしょうか。前言撤回し、「自分が勝手に反省しているに過ぎなかった」と、あらためて謝罪の言葉を述べたそうです。また謝罪した動画の収益は「全て慈善団体に寄付させていただきます」とも述べたといいます。

 ふと、米国のギャング、アルカポネのことを思い出しました。禁酒法が施行されていた頃の米国シカゴで、密造酒の販売など犯罪組織を運営、「暗黒街の顔役」として暗躍した人物です。

 その彼は売名行為、大衆の支持を得するために生活貧窮者に対し食事の無料給付の慈善事業活動を行うなどしていたといいます。しかし、その元手は違法に稼いだ金だったといわれます。そのカポネは裁きを受け、投獄の身となります。その末路がどうだったかは想像できるかと思います。

 

ナポレオン・ボナパルトの栄光とその末路

サミュエル・スマイルズはセルフヘルプ(自助論)の中で、

いくら知識があろうと、善良な心をともなわなければ、悪の権化となるばかりでしょう

と説きます。フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトを例にし、彼をすさまじい努力家であったといいます。

ナポレオンの好きな格言のひとつは、「真の知恵は確固たる決意」というものでした。

ナポレオンの生涯は、強烈でぶれることのない意志がどんな偉業を達成しうるかを、まざまざ見せつけてくれる点で、他の追随を許しません。(中略)

愚かな支配者や、そうした連中が治める国々は、ナポレオンの前に次々と膝を屈していきました。(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P83)

 

 

  歴史にどのように名を残すのか、「ナポレオン伝説」が生まれたように、それは個人により様々な見解があるのかもしれません。

 ただその末路をみると、考えさせられてしまいます。ナポレオンの最後は、戦いに敗れ、セント・ヘレナ島で幽閉、監禁の身となっています。軍時的独裁の結果ということなのかもしれません。その後の歴史においても独裁者はひどく嫌われているようです。

 

女(なんじ)君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ

 孔子が弟子の子夏にアドバイスした言葉です(「雍也第六」13)。

「君子 教養人であれ。小人 知識人に終わるなかれ」との意味です。

「君子の儒」とは天下の事に責任をもち、民が安んずる志を持つものであり、「小人の儒」とは自分一身を善くするにとどまって、社会的影響を持ちえぬ者であろうと、桑原武夫は解説します。人を治める学と人に治められる学といってもよいといいます。

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 社会すなわち他人たちのための学問と、自分一個のための学問とでは、穏やかな時代には前者が当然尊ばれる。しかし、危機的状況になり「実存」といった考え方が出てくると、逆転すると桑原はいいます。

 孔子たちが生きた時代は春秋戦国のとき、まさに危機的状況だったといってもよいのでしょう。国や社会、他者のためより、個人の身の安全が優先される風潮だったのでしょうか。 

 

 気候危機、コロナ危機といわれる現代も、やはり個人中心の考えが横行することも自然なことなのかもしれません。ただそれでよいのでしょうか。

 列島を覆うように延びる前線、あちらこちらに大雨被害をもたらしています。コロナ渦はとどまることを知らないようです。そのコロナ渦が格差社会を助長し、相対的貧困の問題も顕在化してきています。その解決が今私たちに求められていることなのでしょう。

 視野を広く、大問題をみずから考えうる人になって、既成の諸学説のブローカーに過ぎぬような人物にはなるなという意味にとっておきたいと桑原は孔子の言葉を解説します。

 メンタリスト問題で、色々なことが思い出されました。考えるよい時間になったように思います。忘れかけていた大切なことがあったことに気づかされます。