「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

ハラスメントだらけの日本社会、強化される法規制、なくならない被害

 どこもかしこもハラスメント。それに不正やコンプライアンス違反。法規制などが強化されますが、そんなものがあふれています。釈然としないばかりか、モヤモヤ、時には不条理を感じたりします。

 大切な最小単位のコミュニティである家族関係においても同様です。改正配偶者暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)防止法が4月1日から施行されるそうです。身体的なDVだけでなく、言葉や態度などの「精神的DV」も対象となるといいます。

「大声で怒鳴る」もDVに 改正法4月施行、変更点は? - 日本経済新聞

 身体的な暴力と同様、言葉などによる暴力も保護命令の対象となり、被害者への接近を禁じることができるといいます。

 人として大切なことを忘れてしまったのでしょうか。法を強化しても、こうしたことがなくなることはなそうです。

 

 

 セクハラにパワハラ、それにカスハラ、様々なハラスメントが蔓延しています。

 改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)で法規制は強化されましたが、パワハラ関連の相談件数は倍増で、ハラスメント関連の裁判事例も増加しているといいます。メールのCCに無関係な人間を入れて、相手を「晒しもの」のようにして叱責したというパワハラ事例もあるそうです。

業務命令に対し、正当な理由なく従わない場合には無罪になることがありますが、言葉づかいひとつで違法に転ぶ可能性もあります。自分の言動がハラスメントにあたると思っていない人も多いので、「コンプラ意識」そのものを見直す必要がありそうです。(出所:NEWSPICKS)

「ハラスメント」とは、嫌がらせのことで、相手を不快にさせたり不利益を与えたりするなど、肉体的・精神的な苦痛を与え、人間としての尊厳を侵害する行為といいます。

論語に学ぶ

子夏問うて曰わく、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盼(へん)たり。素以て絢(けん)を為すとは、何の謂いぞや、と。子曰わく、絵事(かいじ)は素を後にす、と。曰わく、礼は後か、と。子曰わく、予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言う可(べ)きのみ、と。(「八佾第三」8)

 弟子の子夏が「詩に、笑顔うるわし。眼元涼やか。白粉の美しさ。とあります。どういう意味でしょうか」と質問しました。孔子は「絵を描くときは、まずは色を使う。そのあと白色を色の間は塗って完成するのだ」と答えました。子夏は「礼は後でよろしいのですか」と更問しました。孔子は「私の言わんとするところを表してくれるのは、商(子夏)君だ。お前となら詩を語り合える」といいました。

dsupplying.hatenadiary.jp

 孔子と弟子の子夏が詩の解釈について談義し、文学の才のある子夏が「礼も絵における素のように後に学ぶものですか」と飛躍した質問をします。さすがに道徳を学ぶ学団の師弟ですから、突飛な質問にもハラスメントのような言葉もなく、高次な会話も成立するのでしょうか。

 

 

「礼を後にす」、五色の色がまずなければ白でふちどりすることもできない、美しくないものを飾り付けたとしてもかえって醜い。人は、まず根本があるべきで、それがなければ礼の末節にこだわっても仕方がないとの意味だといいます。根本に「仁」人間性があって、誠実さやまごころがなければ人間性が成り立つことはありません。

飲み会マナー

 現代における「マナー」も、「礼」の一種といっていいのでしょう。「人間性」ヒューマニティのようなものがあるから、マナーを理解できるし、身につけることもできるのでしょう。そもそも「礼」とは、「仁」を目に見える形で表現したものであると孔子は諭しています。相手や周りの人に不快な思いをさせないために「礼」や「マナー」があり、それが相手への思いやりや気遣いの表現になるということなのでしょう。

Z世代に「飲み会マナー」を叩き込むのは不適切?葛藤の末、後輩に教えてみた | Business Insider Japan

後輩たちの至らぬマナーが目につく近頃。しかし今時「飲み会マナー」など語りだすのは古臭い老害ではないか。一方、マネジメントとして社会のマナーを後輩に教えないのもいかがなものか。(出所:Business Insider Japan)

 実際、「飲み会マナー」を指南、学習させてみると意外の反応があったそうです。

「そういうマナー大事ですよね。実は知りたいと思っていたんです」「誰からもそういう話を教えてもらったことがなかったので、勉強になります」。

「令和世代と○○世代」という世代間論争や、「○○ハラスメント」というワードがホットになる時代の中で、先輩世代側がマナー指導をするケースが激減したという背景も起因しているのではないだろうか。(出所:(出所:Business Insider Japan)

 「令和世代の若者は飲み会マナーを学ぶ気がない」、そんなイメージは、先輩世代のバイアスなのかもしれないと記事筆者は指摘し、先輩世代の責任もあるのではないかといいます。コミュニケーションの断絶がおこっているのでしょうか。

 

 

 時間の経過とともに「礼」も「マナー」が変容していくことは自然なことなのでしょう。華美になったり、廃れたり。整っていくもの、形骸化、形式化していまうものなど様々なのでしょう。孔子もそれを否定せず、行き過ぎれば素朴さ、シンプルさを求め、また、良きものはそれを取り入れてアップデートを忘れないことを推奨します。

 しかし、「礼」「マナー」はどのように伝えていくべきなのでしょうか。家庭にあっては親、職場にあって先輩諸氏や上長などの役割でしょうか。時にそれは「躾」だったりするのでしょうか。

「躾(しつけ)」とは字の通り、身を美しくかざる意を表しており、身だしなみとの意味があります。また、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞いができるように学習(学びて繰り返し習う)することで、教育の一種であるといいます。概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含むといいます。簡単に言えば、「決められたルールを守り習慣にすること」になります。

 

 

 さてさて、学校における道徳や倫理の教育に問題はないのでしょうか。政治的に歪められているようなことはないのでしょうか。そういうところから見直す必要があるのかもしれません。

 

「参考文書」

「精神的暴力」も対象のDV防止法改正案が成立へ…でも「実効性に課題」と専門家や当事者が指摘する理由は:東京新聞 TOKYO Web

【最新版】あなたは大丈夫?実例で学ぶ「ハラスメント判例」