時が経てば事実が明らかになって、評価が変わることもあるのでしょう。礼賛されていたものでさえ、地に落ちることもあるのかもしれません。
重石が取れたかのでしょうか。報道合戦が過熱しています。
<独自>安倍派複数議員「中抜き」 パーティー収入不記載拡大、10億円超か - 産経ニュース
異様な政治腐敗のようです。
政治資金問題 安倍派の所属議員秘書が新たな説明 | NHK | 政治資金
民主主義の根幹であるはずの選挙までもがゆがめられていたのでしょうか。社会に不正が蔓延し、国が弱体化していったことがわかるような気になります。その一方で、今なお防衛力は強化され続けています。何とも怖い話です。
人気者で、多数派の人が悪いことをしても、それを正せないことがあるといいます。話し合いでは、多数派のほうが有利で、争いが起きなければ、多数派はいつまで経っても多数派のままで、少数派はその悪を正すことができないことになってしまうためといいます。
「争いを起こさずに話し合いましょう」というのは、きれいごとだと思います。.....(中略)....少数派が多数派の悪についてネット上に書き込めば、一気に味方がついて、多数派が追い込まれます。かわいそうなことだけれど、そうでもしなければ、多数派の悪は見て見ぬふりをされ続けることになります。(引用:NewsPicks for Kids)
子供向けの『正義』を考え直そうとの題材からの引用です。
権力者が悪いことをして炎上し、たくさんの人から責められているのを見ることで、私たちは「ああ、こういうことをしてはいけないんだな」と学ぶといいます。
また、炎上が起きた瞬間、少数派だった正義が、今度は多数派になり、その状態で相手を責めれば、「多数派が少数派に圧力をかけている」という状況になってしまい、堂々巡りが始まります。「いくらなんでも、それはやりすぎじゃない?」という「新しい正義」が、また生まれて欲しいと願うようなるそうです。
正義の争いって、みにくいように見えるかもしれません。でも、争いを避けるのではなく、最悪の事態を防ぎながら小さく争い続けることで、人は「悪いこととは何か」を学び、社会がだんだんよくなっていくのではないでしょうか。(引用:NewsPicks for Kids)
大切なことが忘れられていたのかもしれません。
政界においても同じなのでしょう。多数から支持された人気者がいなくなり、ひとつの告発をきっかけに「悪」があぶり出され、炎上しています。「こういうことをしてはいけないんだな」と、いま学ばなんでいるのかもしれません。
やがて世相が変わり、異常から正常へ、不健全から健全へ移り変わっていくのでしょう。
論語に学ぶ
中庸の徳為る、其れ至れるかな。民 鮮(すく)なきこと久し。(「雍也第六」29)
中庸の徳は、この上ないものだ。しかし、人々は中庸を欠いて久しいと孔子がいいました。
「中」は偏らず、過ぎたると及ばざるとのないこと。「庸」は平常、あたりまえで変わらないこと。孔子は、直情径行や社会において突出するような行為をきらっていたといいます。
「中庸の徳」は、洋の東西を問わず、倫理学の主要な概念のひとつといわれます。アリストテレスの倫理学においても同様で、「過大」と「過小」の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとしているといいます。
政治においてもいえることなのでしょう。「右」に「左」、「保守」に「リベラル」、どちらかに偏ることなく、その中間、中道がいいのかもしれません。
米国のように適宜政権交代がおき、その変化の中で行き過ぎが是正され、中間を保ち、時々の最適な社会システムを見出すのがよさそうな気がします。
「参考文書」
内閣支持22%、過去最低を更新 裏金疑惑、自民も下落20%台 | 共同通信