努力って何だろうかと考えてしまうことがあります。
パラリンピックで合計4個の金メダルを獲得し、4大大会では世界歴代最多の50回優勝し、車いすテニスで偉業を成し遂げた国枝慎吾さん。
私のような凡人が考える努力とは質の異なる努力があっての偉業なのでしょう。
「金メダルを取りたい」「もっと強くなりたい」という思いは常に持っていましたが、「車いすテニスを福祉ではなくスポーツとして認知してもらう」ということへの執念が、一番の原動力だった気がします。(出所:NEWSPICK)
「努力」とは、目標の実現のため、心身を労してつとめることを意味しますが、一言で努力といっても、そこには「努力」という単語だけでは表現できないものが、国枝さんの努力には含まれているような気がします。
「世間からの見え方を変えていかなければいけないし、もっと業界を盛り上げないことには、若い世代が競技に打ち込む未来がなくなってしまう」とも話しています。
「目標を設定し、その実現のために努力する」、それはそれで大事なことなのでしょうが、それとは何か別次元の何かがあるのではないかと感じます。
論語に学ぶ
朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。(「里仁第四」8)
道徳の支配する理想社会が実現したと聞いたなら、自分はすぐに死んでも心残りはないと意味します。
この孔子の言葉には、ただ夢のような憧れではなく、切実さを伴った希求が表現されているといいます。
この世でまだ実現されていない「道」という理想が完成するのなら.....
「道」、自分以外の他者の存在を認め、自己を律し、「忠恕」に努めるということでしょうか。「忠」は自己に対する誠実、「恕」は他者に対する思いやり。
国枝さんの願いや原動力と相通じるものがあるのでしょうか。
兵庫県のJR加古川駅の駅ピアノが廃止となるそうです。利用者のマナー違反が理由と言います。
マナー違反続出で「駅のピアノ」が撤去。海外とは明らかに違う、日本のストリートピアノの“つまらなさ” | 日刊SPA!
記事によれば、駅ピアノを使ってYouTubeなどに動画をアップ、バズり目的の利用者が増え、時間をかけて撮影機材の設置をしては一人でピアノを独占し続けるケースもあり、パブリックスペースとしての価値を失ったそうです。
バズりたいとの願望から手の込んだ仕掛けをするということなのでしょうが、こうした行為は同じ労力を使うとしても努力とは言わないのかもしれません。
記事筆者は、「音楽をはじめとした芸術に触れることは、得体の知れない他者を理解しようとする意志を必要とします」といいます。
身勝手な行為は理解を生まず、それによって感動を呼び起こすことはないということなのでしょう。
また、音楽や芸術ばかりでなく、どんな場面においても、得体の知れない他者を理解しようとする意志を働かせることが肝要ではないでしょうか。そこに努力を傾けることができるようになれば、解決できない問題もなくなっていくのかもしれません。