「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり】宇多田ヒカルの「道」 Vol.77

   

 子曰わく、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。(「里仁第四」8)

  

(解説)

「この章は現代語訳をするよりも、原文そのままに訓(よ)むほうが胸に響く。「道」の意味は読者によって様々であろう。人の世の真実、人間として大切なもの、生きることの意味、あるいは死への覚悟・・・・読者の心に響くものが「道」である。」論語 加地伸行

 

 桑原はこの章を以下のように解説する。

  『古注では、道という字の上に有を補って、「有道」を聞く、という意味に解する。道徳の支配する理想社会が実現したと聞いたなら、自分はすぐに死んでも心残りはないといい、そこに「天下の道無きに久し」(「八佾第三」24)という現実認識をふまえて、そういう幸福な情報を聞くことなしに自分は死なねばなるまい、という悲観の気分で表明されているとするのである。そうすれば、「道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん」(「公冶長第五」7)というのに連なるであろう。

 

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 これに対して新注は、「道」を「事物当然の理」と捉える。それは物事としてそうあらねばならぬ道理ということであり、もっぱら理性をもって認識しうるところの真理、といった語感がある。』(論語 桑原武夫

 桑原は、孔子の時代を考えれば、個人の自覚というよりは、共同体的な雰囲気が感じられる古注のほうが良いのでという。『ただ夢のような憧れではなく、あの人にひと目会えたらすぐに死んでもいい、などという時のような切実さをもっての希求』という。

 

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【朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり】

 

 宇多田ヒカルさんの歌に「道」という曲がある。亡き母藤圭子さんを思う歌と聞く。

 

『一人で歩いたつもりの道でも、始まりはあなただった』

『一人で歩まねばならぬ道でも、あなたの声が聞こえる』

『どこへ続くかまだ分からぬ道でも、きっとそこにあなたがいる』  

(引用:宇多田ヒカル 「道」より)

 

 ヒカルさんの「道」という響きに、切なさと決心を感じる。亡き母への語りかけにも聞こえる。こんな道の解釈があっても良いのではなかろうか。

 論語が説く、「孝」に近いではないか。

 

  

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Fantome

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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