「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

自説を吹聴する首相は、ルビコン川を渡りたいのか

 

 首相がG7各国を訪問しています。伝わるニュースは、安全保障関連や中国を念頭にした自衛隊との共同訓練などなど。その執着ぶりがうかがえます。

 平和維持のためなのでしょうか。そうであるなら、もう少し違ったアプローチがあってもいいのではないかと思えます。

日伊首相、安保対話創設へ | ロイター

 こうした報道ばかりに触れると、危機が迫っているわけでもないのに、すごい危機が目の前にあるように勘違いしそうです。政府はそんなたくらみをもっていないかと疑いたくなります。

 現実はどうなのでしょうか。危機を煽れば、防衛費増額のための増税を実現しやすくなる、そのための世論操作でもあるように思えてしまいます。穿った見方なのでしょうか。

 

 

世論操作

「のちに振り返れば、今が転換点なのか。あの時のように」と、信濃毎日新聞の社説はいいます。 歴史は繰り返さないが、韻を踏むということでしょうか。

〈社説〉国防と報道 「非常時」の歴史に学ぶ|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト

2022年はロシアによるウクライナ侵攻と米中対立、北朝鮮のミサイル発射を受け、防衛論議が一気に高まった。新聞の論調は分かれるが、一部大手紙は政府方針の是認、推進論が目立つ。(出所:信濃毎日新聞

 現在の世界では、外交などで各国が巧妙な情報操作技術を駆使しているといいます。こうした状況に、防衛関係者らは「情報戦に対抗するには世論を正しく導く戦略は当然必要」と考えているといいます。

 こうした事態に「踏みとどまる力を」と記事は指摘します。

戦前の新聞は「非常時」に直面して変質した。

ただ、その場面にいた新聞社や読者は、引き返せぬルビコンをいつ渡ったのかさえ気づかなかっただろう。今、安保情勢の変化を理由に他国を攻撃できる武器を積み上げる抑止論を「専門家」が声高に叫んでいる。それは人が常に理性的な計算で行動するという幻想に基づく。説明のつかない偶然、判断、行動は起こり得る。(出所:信濃毎日新聞

 権力による誘導やウソを見抜き、圧力に流されず、はね返す報道の力が試されるとも記事は指摘しています。

 

 

ルビコン

 古代ローマ期、あのカエサル(シーザー)が「賽は投げられた」と叫び、元老院令を無視してルビコン川を渡河したということから、もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすことをいいます。

渡河の決断:ルビコン川を渡ったカエサル 禁を犯した大決断とは?|NIKKEI STYLE

 ただカエサルはその著書「内乱記」の中で、ルビコン川を越えたことには触れてさえいないそうです。

 自分が法を破ったという事実を認めまいとしたのかもしれないといいます。

『内乱記』は、一連の出来事を正確に書き表そうとする試みというよりは、自己正当化のためのものという色合いが濃い。カエサルは、自分をローマに盾突く反乱軍のリーダーではなく、ポンペイウスによる独裁支配からローマを解放する英雄として描いているからだ。(出所:日経スタイル)

 自己を正当化し、自分にとって有利な話が広まれば、自分の考えや自分自身を認めさせやすくなることはいうまでもないことです。

 広告などでもよく使われる手法です。

 ルビコン川を渡河したカエサルは独裁者となってローマに君臨します。しかし、その結末は悲しいものであったともいいます。

 

 

 政府や政権与党が自説を押し通そうと、様々な手段を講じようとするのでしょう。それもまた言論・表現の自由なのかもしれません。

 そもそも一連の首相の行動の動機は何なのでしょうか。真に「国民の生命と生活を守る」ことから発せられているものでしょうか。政権維持が「一義」で、まさか「二義」になってはいないかと心配になります。

 権力を監視するのがメディアの本来の役割と言われています。このところを鋭く切り込んで欲しいものです。

論語に学ぶ

其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。(「為政第二」24)

 自分たちの祖霊でない他家の霊を祭るのは、その有力者に対する諂いであって、なすべきことと、なすべからざることを、はっきり見定めたうえ、なすべきことをせずにすますのは、勇気がない、つまり卑怯であると意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

「義を見て為さざるは、勇無き也」という言葉は、日本の武士道に大きな影響を与えた言葉と言われています。

「現代の私たちでさえ、この言葉が決定的瞬間に「正義」の行為への発動を支えているように思われる」と桑原武夫はいいます。

「二義」であっても、それがあたかも「正義」であるかのように扱えば、この言葉と共に人々の心が高揚することがあるのかもしれません。恐いことです。そうあってはならないはずです。

 

「参考文章」

「メディアが国に『動員』されている」とツッコミも…「新しい戦前」で問われる“報道の力”《タモリの発言が話題に》 | 文春オンライン