「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

経団連が提唱するサステナブルな資本主義、推進するGX、DXの先にあるものは何か

 経団連の十倉会長が日本経済研究センターで12月23日、「2022経済展望とサステイナブルな資本主義の道筋」という題目で講演したという。

経団連:2022経済展望とサステイナブルな資本主義の道筋 (2021-12-23)

 故中西前会長の後を引き継いだ十倉会長は、中西路線であった「Society 5.0 for SDGs」、「サステイナブルな資本主義」を継承し、その遺志を発展させるべく、尽力してきたと、講演の冒頭に述べ、「経団連サステイナブルな資本主義」について語られた。また、その遺志を引き継ぐ際の思いとして、「義を見てせざるは勇なきなり(論語「為政第二」24)」があったと述べた。

 

 

経団連が推奨するサステイナブルな資本主義

サステイナブルな資本主義の確立」
●人間の営みを考慮し、公正さを確保した資本主義、市場経済の確立
地球市民、社会の構成員としての企業
shareholder’s value ⇒ stakeholders’ value
イノベーションを通じた社会課題の解決
● Sustainable, All inclusive な社会 (Society 5.0) (出所:経団連

 また、この確立のため、政府へ3つの要望をあげ、その中のひとつとして、成長に向けて取り組むべき課題をあげ、2050年カーボンニュートラルに向けたGX グリーントランスフォーメーションの推進や、デジタル化の遅れに対するDX デジタルトランスフォーメーションの推進を指摘、これらがわが国の喫緊の重要課題という。さらにこうしたGX、DXの推進は、国内での投資を誘発し、経済成長に直結するものと述べた。

経済学は、道徳科学・モラルサイエンス

 十倉会長は講演の終わりに、「経済は、人々の幸福の役に立たないといけない」といい、ケインズハロッズへの手紙を引用し、「経済学は自然科学ではない、道徳科学・モラルサイエンスである。これを行うには内省と価値判断を伴う」という。さらに、「経済を考えるには「社会性」「公正さ」「正義」といった視点が肝要」と述べ、「サステイナブルな資本主義」の確立に向けては、こうした考えを尊重していくという。

 

 

 また、十倉会長は好きな言葉に「義」をあげ、「大義」「正義」「信義」。自分自身の行動を振り返るとき、そこに「義」はあるか、「公」のためになっているのかを、常に考えながら行動しているという。そして、経団連は、「公」のため、「社会」のため、「国民」のために、言うべきことは主張していくという。

「義」とは正しい道、万人が同じ「義」を持てば、対立、分断もなくなるのだろうが、そうはならないのが今の現実の世界ではなかろうか。

論語の教え

 十倉会長が引用した「義を見てせざるは勇なきなり」には、前段があって、「其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり」(「為政第二」24)という。

「自分たちの祖霊でない他者の霊を祭るのは、その他者や霊に取り入り、そこから福を得ようとするようなもので、不義のものだ。逆に、義(ただ)しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである」との教えである。

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 また、「徳有る者は、必ず言あり。言有る者は、必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇あり。勇者必ずしも仁有らず」(「憲問第十四」4)との言葉もある。

「有徳者、人格の立派な人物ならば、その言葉はきっと優れている。しかし、いいことを言う者は、必ずしも有徳者、人格が立派であるとは限らない。仁者は、必ず勇気がある。しかし、勇敢な者は、必ずしも仁をもっているとは限られない」と意味する。

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 あの伊達政宗は、「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる」といったという。 優しさや思いやりが過ぎると弱くなるが、正義や信念が強すぎても固くなってしまうという意味だろうか。十倉会長を批判する気はないが、「義」を重んじ、勇者をなろうとすれば、「仁」に薄くなってしまわないだろうか。

 

 

 カーボンニュートラルを目指しGXやSDGsを実践することは「義」かもしれない。しかし、過ぎれば「固」とならないだろうか。少なくともSDGsが求める世界は「仁」に根差しているはずである。どんな施策も行動も「仁」に適っているのか、そのことを忘れてはならないのだろう。そして、企業もまたそう実践できるように導くのも、経団連の役割ではなかろうか。