米連邦議会議事堂襲撃から1年となった1月6日、バイデン大統領が事件を振り返る演説を行ったそうです。支持率が低迷を続け、その守勢から抜け出すために、前大統領を痛烈に批判したとの見方が大勢のでしょうか。
中間選挙へ「対トランプ」攻勢 バイデン米大統領、投票権法案に照準―議会襲撃1年:時事ドットコム
「彼はただの前大統領ではない。『敗北した前大統領』だ」。
これまでトランプ氏への直接の言及を避け、「大人の対応」に徹してきたバイデン氏だが、この日は明らかに様子が違った。
トランプ氏の「独裁」に口をつぐむ共和党穏健派に対しても、「一人の人間による支配でなく、法の支配を支持する共和党員とは共に働きたい」と揺さぶりをかけた。(出所:JIJI.com)
経験豊かなバイデン氏が米国のみならず、世界的にも融和に導いてくれることを期待していましたが、「和」がいかに困難なことであることと思い知らされます。分断・対立が先鋭化し、かつての南北戦争のような衝突につながらないことを願うばかりです。
論語の教え
「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず」と、「八佾第三」5にあります。
「夏は大なり」、「諸夏」とは、中原にある文明のさかんな国々を指し、その周辺にある野蛮な異民族と対立する、孔子の生きた時代、秦、楚、呉、越などが夷狄とされていていたそうです。
「夷狄の国にたとえ君主がいても、無君主状態に陥っている諸夏(中国)には及ばない」との意味で、「中華(夏)思想」のもとになった言葉といわれているようです。
しかし、それは後のことであって、孔子が、現代の「中華思想」のように他民族と対立し、平和を乱すことを望むはずもなく、当時は国際政治という概念がなかったのかもしれません。
桑原武夫によれば、「孔子としては礼楽を中心とした秩序ある国を中国に復活せしめたい、たとえいま魯の昭公が七年間も国外に亡命しなければならなかったというような、君亡き状態におちいっているにしても、あくまでも先王の道は不滅であり、自信を失ってはならない、と弟子およびみずからをはげましたのであろう」といいます。
あくまでも、孔子の教えの中心は文明の尊重にあり、文明の基本は礼楽の尊重とその実践にあるといいます。ただ文化は、それぞれの民族の特殊な生活形態から生じるものであるから、他の民族には理解し難い一面もあると指摘します。
この章にはもう一つ、「夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならず」という読みがあります。
「夷狄の国にさえ君主がいて秩序があり、今の中国のような上下の別がない乱世の状態ではない」と解釈します。元、モンゴルに征服されてしまった時代に、朱子によって読まれたといいます。規範が乱れ、文化が衰退すると国さえもなくなってしまうといの戒めなのでしょうか。
分断・対立を乗り越える
独立、自由、人権という気風を戦いの末に勝ち取った国柄ゆえ、米国にはどうしても対立が生まれてしまうのでしょうか。そうした中にあって、民主主義を進化させてきたのもこれまでの米国だったのでしょう。
CNN.co.jp : バイデン氏演説で最も重要かつ強力な一節、米議会襲撃から1年
CNNはバイデン大統領を擁護し、「本当の愛国心とは、国を可能な限り偉大にするために制度の中で機能するものだ――それがあなたの個人的関心を満足させるものかどうかにかかわらずだ」といい、「ジョー・バイデン氏はその点をわかっている。ドナルド・トランプ氏は一度もそれをわかっていない」といいます。
国家元首のありかたについても考えてしまいます。元首には国を代表し国家の威厳を代表する者との解釈もあるようです。礼儀正しく、厳格ルール、規範を守り、威厳正しいさまを示す人でもあるのでしょうか。一般的には、国の首長のことをいい、対外的には、一国を代表する資格をもつ国家機関といわれ、君主国では君主、共和国では大統領などを指すといいます。
臆病な平和主義者なのかもしれませんが、今この時代は、国の中にも外にも分断・対立を求めず、みなが協力し、時々の課題を解決していくべきなのではないでしょうか。そのためにはみなが従える共通のルールや規範がもとめられているのかもしれません。その象徴が元首であるべきではないでしょうか。