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脱炭素と原発再稼働問題、2022年年頭挨拶で語るべきことだったのか ~ 炉辺閑話 #84

 新しい年が動き始まりました。企業の経営者たちが年頭のあいさつを公開し、首相も経済団体や労働団体の会合に出席、年頭のあいさつをしたようです。それぞれが新しい年にむけ強い決意を示したのでしょう。これまでを振り返り、正すべきを正していくということでしょうか。

「失われた30年」、低い経済成長率、景気拡大が起こらず、賃金上昇は小幅にとどまり、物価目標を設定するも達成できず。

 これまでは、そんな時代だったのかもしれません。目標はあれども、それを達成させようとの意志が極めて弱かった時代だったのかもしれません。

 この30年の歴史を紐解いてみれば、住専問題や山一証券の破綻、その後の不良債権問題など、失われる前の景気が拡大していたバブル期の問題があらわになった時期だったともいえそうです。

 

 

虚飾に満ち、驕奢に過ぎたバブルを引きずる

 あのバブルがいかに虚飾に満ち、驕奢に過ぎていたということなのでしょう。そうであるにもかかわらず、未だその未練を断ち切れず、企業の不正が後を絶たないことが残念でなりません。

 一度身についてしまった悪習からなかなか抜ける出ることができなかったといことなのでしょう。このままでは、この先も同じような状況が続いてしまう危惧さえあるのではないでしょうか。

「如(も)し王者有らば、必ず世にして而(しか)る後に仁ならん」と、論語子路第十三」12にあります。

「聖人(王者)が出ても、今日のように「礼楽倫理」の乱れた世を治めることは容易でない。しかし、聖人が三十年の久しきにわたって治めたならば、「仁」人の道を守る社会となり、国民を帰服させることができよう」との意味だと渋沢栄一はいいます。

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「世」は俗体で、「丗」と書き、「十」という字を三つ連ねていることより、三十年を意味するといいます。

 もしかしたら、「失われた30年」はバブル期の残骸を整理する時期だったのかもしれません。この次の30年は「仁」人の道を守る社会を作っていかなければならないのでしょう。

 

 

脱炭素と原発問題

 脱炭素と原発問題 経済3団体、経団連経済同友会日本商工会議所が東京都内で年頭の記者会見を開いたそうです。

脱炭素へ原発不可欠 「排除あり得ない」―経済3団体首脳:時事ドットコム

 JIJI.comによれば、経団連の十倉会長が、脱炭素社会への取り組みについて、「晴耕雨読の世界にはいまさら戻れず、(社会経済活動には)ベースロード(基幹)電源がいる」と強調し、その上で「原発の選択肢を排除することはあり得ない」と述べ、脱炭素化には原子力発電が不可欠との見方を示したといいます。

「脱炭素」が世界共通の価値観となり、その目標達成が求められています。

 だからといい、あの大事故の顛末を語らないままに、原発を再稼働していいのでしょうか。東電柏崎刈羽原発ではいまだ問題続出で、到底原発を正しく運営できるとは信じることができません。

 経済団体が原発再稼働を求めるなら、この問題の本質に切り込んでいかなければならないのでしょう。そうでなければ、同種の問題が東電のみならず、他でもまた同じように起きることになるのではないでしょうか。

 まずは経済界全体で正しいルールや規範を守る、守れるという姿勢を示すべきではないでしょうか。

 

 

論語の教え

「有子曰く、礼の用は、和を以て貴しと為す。先王の道は斯れを美と為す。小大之に由れば、行なわれざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行なう可からず」と、「学而第一」12にあります。

 渋沢栄一によれば、この章における「礼」は、普通の言葉における「礼」とはその意味を異にし、広義の礼を指すといいます。

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「礼の精神が和にあるのを忘れては、礼が礼にならず、かえってこれがお互に疎隔する原因になってしまうものだ」と栄一はいいます。

「和を以て精神とし、これを執り行なうことにしなければならない。しかし、和が余りにも過ぎると互になれて、かえって不和となり、世の中の秩序を乱すことにもなるから、そこは礼を以て之を節していかなければならないもので、中庸を得たるところに真の和がある」ともいいます。

「なあなあ主義」の狎れあいでは、礼、モラル、マナーが低下して、いつまで経ても、ことは改善されずに、問題を再びしてしまうのかもしれません。

 この章は有子の言葉ですが、現代でいえば、コンプライアンスを説いているのかもしれません。

 コンプライアンスというと何か硬いとのイメージがあるのかもしれませんが、コンプライアンス、規範やマナー、約束を守ることで、「和」、なごみが生まれ、調和できるといっているのかもしれません。

 さて、不正の連鎖、その悪習を断ち切ることはできるのでしょうか。まずはマナーを心から正しく守ることがもとめられているのでしょう。

 悪習を断ち切れば、必然、社会の雰囲気が良化、自然、景気も上向くのではないでしょうか。