「正しいことが正しいと言えない社会はおかしい」。
財務省の公文書改ざん問題で、亡くなられた近畿財務局職員だった赤木さんの妻が、岸田首相に再調査を求める直筆の手紙を送ったそうです。
財務省決裁文書改ざん 自殺した職員の妻 岸田首相に直筆の手紙 | NHKニュース
その手紙は「岸田首相なら分かってくださると思う」と書かれ、「第三者による再調査で真相を明らかにしてください」と訴えたそうです。
「私の話を聞いてください」という言葉で始まる雅子さんの手紙は便箋2枚に直筆で書かれていて、財務省の調査報告書に夫が改ざんを苦に自殺したことへの言及がないことや、夫が職場に残したいわゆる「赤木ファイル」の中にあった「改ざんや書き換えをやるべきではない」という夫の訴えに財務省本省がどう対応したのか明らかになっていないことを訴えています。 (出所:NHK)
「お手紙は、まだ手元に受け取っていない。受け取ったうえで対応について考えたいと思う。この案件については、従来から申し上げているように必要であれば、政治として説明することも考えていくという方針は変わらないと思っている」と、新首相は話したそうです。
諾(だく)を宿する無し
「片言(へんげん) 以て獄(ごく)を折(さだ)む可(べ)き者は、其(そ)れ由(ゆう)か」。「子路、諾(だく)を宿する無し」と、論語「顔淵第十二」12 にあります。
「一言一句、それを聞いて訴訟の判断をすることができるのは、由であろう」。「子路は、承知したあと、ぐずぐずするようなことはなかった。」と解されます。
子路は孔門では年かさの弟子で、もとは遊侠の徒、率直勇敢な情熱家で、孔子に愛されたといいます。
無欲は公正を得るの道である
「事の善悪を片言にして見分けるのは、子路の如き無欲敏活なる人でなければ、その速断は出来ない」と、孔子は言っていると、渋沢栄一が解説しています。
一旦承諾したことは直ちに実行しないといふことがない。
然るに今日の政府の役人などはどうであらうか。
果して諾を宿することのないやうなことをやつて居るであらうか。又、総理大臣などに対しても之れを言はれないこともないではないと思ふ。 (引用:実験論語処世談 渋沢栄一記念財団)
「信頼と共感を得られる政治が必要だ」と、新首相は話しているそうです。権力への気遣いばかりでは、信頼も共感もないような気がします。
「公正無私」、「則天去私」、「忠恕」の心で判断してもらいたいものです。果断に、「正邪」「善悪」を判断することが求められているのでしょう.....
が、早速、松野官房長官が「首相への個人からの手紙について政府の立場で申し上げることは差し控える」と述べ、「再調査は考えていない」と話したそうです。
論語の教え
「民は之に由(よ)ら使む可(べ)し。之を知ら使む可からず」と、「泰伯第八」9 にあります。
「人々に対して、政策に従わせることはできるが、政策を理解させることなると、なかなかできない」と、一般的には訳されます。
「人民は政府の善政におのずと頼らせるべきであって、この善政はこういう理由でやったのだなどと押しつけがましく教示してはならない、それは覇者の心で、王者の心ではない」と、江戸期の儒学者伊藤仁斎は解説しています。
「善政」とは、 民意にそった、よい政治。人民を思いやるよい政治を意味します。
政治が「善政」であれば、必然民はそれに従うので、わざわざ政策の理由を説明する必要はないのでしょう。
首相に手紙を送った人は、政治に「善政」を求めているのではないでしょうか。新政権には、まず、こうした民の声に、真摯に対応してもらいたいものです。