「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【仁 人の上に立つ条件】働き方改革、最低賃金、裁量労働制の議論続く ~武士道 #3

 

 働き方改革の一環としてみていいのでしょうか、最低賃金裁量労働制の議論が続いているようです。

 最低賃金について、政府は推進しようとするが、日本商工会議所や中小企業が抵抗しているといいます。経営者たちは今の給与水準が適正と考えているのでしょうか。 

 

  

武士の情けと仁

 愛、寛容、他者への同情、憐憫(あわれみ)の情は、いつも至高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきたと、新渡戸稲造は「武士道」の中で説きます。

 「武士の情け」すなわち武士の優しさは私たちの内にも存在するある種の高潔なものに訴える響きを持っている。このことは武士の慈悲が他の人びとのもっている慈悲とその種類を異にする、というのではないと新渡戸はいいます。

それは武士の慈悲が盲目的衝動ではなく、正義に対する適切な配慮を認めているということを意味している。また、その慈悲は、単にある心の状態の姿というのではなく、生かしたり殺したりする「」を背後にもっていることを意味する。(中略)武士の慈悲は受益者の利益、あるいは損害をもたらす際の力を伴っている。

武士は、その武力や、それを行使できる特権を持つこと自体に誇りを感じているが、そのことと同時に、「愛の力」について完全に同意している。 (出所:武士道 新渡戸稲造 訳奈良本辰也

義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる

これは、伊達政宗の言葉ですが、公正さと義で物事を計らないで、むやみに慈愛に心を奪われてはならないということを言い表していると新渡戸は言います。

 武士はこうしたことを教えられてきたといいますが、その一方で、「慈悲」が美とされたことはそれほど稀ではなかったともいいます。

「もっとも剛毅なる者はもっとも柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なる者である」ということが普遍的な真理とされてきたと新渡戸はいいます。

「武士の情け」、論語の「剛毅木訥は仁に近し」が根底にあるのでしょうか。

 

 

 

論語の教え

剛毅木訥(ごうきぼくとつ)は仁に近し」(「子路第十三」27)

物欲に左右されないこと(剛)、志がくじけないで勇敢であること(毅)、質朴で飾り気のないこと(木)、口下手であること(訥)、それぞれ「仁」人の道に近い。(論語 加地伸行) 

dsupplying.hatenadiary.jp

仁 人の上に立つ条件

 孔子孟子は、民を治める者が持たねばならない必要条件に「仁」があり、それが最も大切なことであると説いたと、新渡戸はいいます。

君子はまず徳を慎む。徳あればここに人あり、人あればここに土あり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。徳とは本なり、財とは末なり

と、孔子はいい、孟子は、

不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は未だ之有らざるなり

といいます。

 そして両名は、天下を治める者に不可欠なこの必要条件を「仁とは人なり」と定義したと新渡戸は指摘しています。 

孟子の教え

怵惕惻隠(じゅってきそくいん)の心は仁の端なり」とは、「孟子」の「公孫丑上」に出てくる言葉です。

「怵惕」とは、恐れて心が安らかでないさま、「惻隠」は他者を見ていたたまれなく思う心。子どもが井戸に落ちようとするとき、駆け寄って助けようとする心の動きをいいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 「仁」の心を持っている人は、いつも苦しんでいる人、落胆している人のことを心にとめるという、こうした孟子の道徳哲学は西洋のそれと変りはしないと新渡戸は強調しています。

 「敗れたる者を慈しみ。傲(おご)れる者を挫き、平和の道を立つること、これぞ汝の業(わざ) ――マンチュアの詩人

シェイクスピアはこれらを文学で表現し、それが故に私たちはシェイクスピアを必要としたといいます。

 「仁 人の上に立つ条件」と新渡戸はいいます。 

長く支配階級にあった武士には、「仁」に根差した行動が求められていたということなのでしょう。しかし、それはもうずいぶん遠い昔のこと。人の心も変わってしまったのでしょうか。

 現代の経営者や為政者の行動の根拠とは何なのでしょうか。武士のような、専門知識とは異なる「学び」があってもいいのかもしれません。

 

 

 

「参考文献」