子曰わく、魯、衛の政(まつりごと)は、兄弟(けいてい)なり。(「子路第十三」7)
(解説)
孔子の教え。魯国と衛国との政治は兄弟のようなものだ。(論語 加地伸行)
周王朝を建てた武王には2人の兄弟があった。魯の始祖「周公旦」と衛の始祖の「康叔封」。その初期、国はよく治まっていたが、その後、政治の乱れは同様であったという。その嘆きのことばであると解釈されていると加地は解説する。
孔子は69歳のとき、衛の国から魯へ帰国する。(「子罕第九」15)
周公の行政を理想とした孔子は、「述而第七」5で、「吾 復夢に周公見ず」と嘆く。
(参考文献)