「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

相次いだオリンピック選手の引退、抗えない運命、セカンドキャリア

 

 GWの各地の様子を映すニュース報道を見ては、そこに映る人々の笑顔が印象的です。長く続いた不自由な日々から解放されたのだと感じます。他人の目を必要以上に気にしたり、意識はしなくても緊張の日々だったのかもしれません。これからはもう少し気持ちを軽やかにしてもいいのでしょうか。

 時は移ろうもの。スポーツ界ではオリンピックで活躍した選手たちの引退発表が相次ぎました。”かなだい”こと、フィギュアスケートアイスダンス村元哉中さんと高橋大輔さん、卓球女子の石川佳純さん。何かに集中し全力を尽くすその姿に感動しました。

 しかし、いつまでもトップを維持することは難しいことなのかもしれません。肉体的な老いには抗えないのでしょう。ちょっと残念ですが、セカンドキャリアにおいても活躍されるのでしょうか。

 一方、米メジャーリーグでは、5年目を迎えたトロント・ブルージェイズ菊池雄星投手がこれまでにない活躍をしているようです。

菊池雄星、覚醒の予感 チェンジアップ駆使して投球に幅 - 日本経済新聞

 リベンジの決意に満ちた31歳のサウスポーが一皮むけたように感じさせていると記事は指摘します。チェンジアップを武器に覚醒かともいいます。花巻東高校の後輩大谷選手の活躍の影響もあるのでしょうか。

論語に学ぶ

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動、仁者は静。知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし。(「雍也第六」23)

 孔子は水も山も美しくともに楽しむものであって、一方が好まれるのでないといっているといいます。「仁者」「知者」、優劣を離れて二つの類型とみれば、動と静、追求と安居、努力と幸福などの対比が考えられるといいます。知者の楽しむには快楽の語感があるが、仁者はその快楽を否定することはないまでも、それを濾過したような境地でたのしみ、生命を静かに永くすると意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

 知者が「楽しむ」のに対し、仁者は運命として与えられた寿命に静かに従うという読みもあるそうです。

運命を味方にする

「老いることは悪」ではなく、肉体の老いは自然の法則に従ったまでのこと。自然の法則にあらがい続ける限り、苦はずっと増大していくといいます。その変化を楽しむためには、老いはむしろ喜ばしいことと考えるのが仏教の教えで、老いを諦めることが肝要と考えるべきといいます。

仏教的には「老い」はむしろ喜ばしいことである:日経ビジネス電子版

 肉体のピークを過ぎたアスリートもまた然りなのかもしれません。若きしころは、その苦行、努力が快楽的な楽しみにつながったのでしょうが、やがて同じ努力だけでは成果につながらなくなるときがやってくるのでしょう。そのまま続ければ、苦の連続となってしまいます。

仏教の「諦める」とは、「明らかにする」ということ。「give up」ではなく、「clarify」です。(中略)「諦める」というのは、「年齢を重ねると、白髪が増えるのだな」などと、今起きている事象を正しく見て、明らかにすることを意味します。これを仏教では正見(しょうけん)といいます。お釈迦(しゃか)様は、あらゆる事象は変化をしながら、やがて死滅に向かっていくのだと、正しく観察されました。(出所:日経ビジネス

 勝負の世界に生きるアスリートたちは早い時期にこうしたことを経験するのかもしれません。ある運命を受け入れば、次の運を引き寄せることができるということでもあるのでしょうか。

 

「参考文書」

限界まで戦い抜いた〝かなだい〟 村元哉中に見せていた高橋大輔の「苦悩」 | 東スポWEB

石川佳純「やり切った」 SNSのコメント―卓球女子:時事ドットコム