「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【異次元から正常化へ】日本の社会は正常さをとり戻せるのだろうか

 

 新型コロナの感染症法上の位置づけが2023年5月8日に、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」に移行するといいます。コロナ体制にあった病院が正常な体制に戻り、従来の病院機能をとり戻すようになるそうです。ようやく社会が「正常化」されていくのかと感じます。

 思えば、これまで問題があるといっては、様々な過剰な対応が政府によって実行されていたのではないでしょうか。日銀による異次元緩和、政府の弛緩した財政規律など例をあげたらきりがないような気がします。しかし、問題は解決されず、かえって弊害が目立つようになっています。

 政治が劣化しているということなのでしょうが、それを隠そうと政府が強権を振るうばかりに、社会活動、経済活動が委縮、それが新たな問題を顕在化させては国民を苦しめる事態になっていたと思えてなりません。

 

 

政治が弱体化したため国は社会を変えられなくなったが、むしろ企業の方が社会を変えられる場合がある。(引用:「成功は一日で捨て去れ」柳井正

 社会を変えられるということは、それだけ権力や権限を持っていること、そこには責任が伴うと柳井氏はいいます。

「社会にとってプラスになっているかどうかで企業の価値が決まる」ともいいます。

 企業ばかりでなく、政治家についても同じことが言えるのではないでしょうか。社会の役に立たない政治家ばかりだから、国の停滞が著しいのでしょう。

「自分たちは何のために存在し、どのようなことで社会貢献しないといけないのか考えなければならない」とも柳井氏はいいます。

 利益を得るという通常の企業活動の上に、常に社会課題をみつめては、その改善を企業活動の上で実行していくということなのでしょう。

 柳井氏がこの本を執筆した当時、ファーストリテイリングはいち早く「多様性」に取り組み、女性のキャリア開発支援や障がい者雇用を拡大させ、また、ノー残業デーを週4日にしたりと働き方改革に取り組んでいたといいます。

 また、現在においても、いち早く賃上げを表明し、DXにも積極的に取り組み、サスティナビリティについても熱心に活動しています。

 

 

 こうした事例を参考にして、他の企業においてどうような取組が拡大すればよさそうなものですが、そうならないほど社会の空気が悪化しているのでしょう。

論語に学ぶ

直なるかな、史魚(しぎょ)。邦に道有るときも矢の如く、邦に道無きときも矢の如し。君子なるかな、蘧伯玉(きょはくぎょく)。邦に道有れば、則ち仕え、邦に道無ければ、則ち巻いて懐にす可し、と。(「衛霊公第十五」7)

 まっすぐだな、史魚は。邦が治まっていようと、国が乱れていようと、直言すること矢の飛ぶようである。君子教養人だな、蘧伯玉は。国が治まっているときは出仕し、国が乱れているときは、その才能を隠して世を退くことができるといいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 史魚は暗君霊公に仕え、愚臣を遠ざけ、賢人 蘧伯玉を採用するよう諫言していましたが、聞き入られずにいたといいます。一方の蘧伯玉も積極的に政治の表舞台に出ようとはしなかったといいます。

 しかし、史魚が亡くなり、霊公が史魚の遺言を知ると、その道を改め、蘧伯玉を要職に迎えたといいます。

 

 

 日銀の次期総裁と目されていた雨宮氏が政府打診を固辞し、学者の植田氏が新総裁に起用される方向で準備が進んでいます。

サプライズ人事が映した構造問題 日銀総裁に植田氏就任へ:時事ドットコム

 雨宮氏の本心はわかりませんが、蘧伯玉のように国に道がない時に、政府の手先になりたくはないとの思いがあるのでしょうか。一方、植田氏にはこんな時に総裁職に就くのだから、「史魚」のような愚直さがあってもいいのかもしれません。

正常化

 金融政策の「正常化」が期待されています。正常化に向かえば、経済活動もまた正常になり、企業が自主性をとり戻するのなら、もしかしたら社会課題の解決にも目が向くようになるのかもしれません。

 政府が異次元の問題に気づくことはあるのでしょうか。正すべきを正さなければ、社会が「正常化」することはあろうはずがありません。