何がきっかけで、転機が訪れるかはわからない。会社に入って間もないころに、上長にものすごい勢いで𠮟られたことがあった。入社したときの教育担当が芳しくない人で、時間通りに出社せず、教育という教育を受けたことなく、のほほんとしてからもしれない。
何が理由で怒られたか、その時は全く理解できず、ただ悔しくて、その後、逆に上長を質問攻めにした。ただそれがきっかけで、トヨタの生産方式を学ぶことになり、その後、会社生活が一変することになった。
今にして思えば、ありがたいことだったいえるが、あの時の上長のしゃべり口は今でいえば、まちがいなくパワハラだったのではないかと思う。「お前、なんていらい」、「もう会社に来るな」とまで言われた。それもみんなが見ているまえのことだった。
時に、叱ることも必要かもしれないが、言葉は選んだ方がいい。
はびこるハラスメント
弁護士ドットコムニュースによれば、三菱電機のグループ内で、2020年度に330件のパワハラによる被害相談があったという。その中には「ここまでポンコツだと思わなかった」との発言などがあったという。
三菱電機では、2019年に新入社員の男性が自殺し、2021年2月、労災認定された。背景には担当の教育指導員からパワハラがあったとみられている。(出所:弁護士ドットコムニュース)
道義が本、法律は末
「訟(うった)えを聴くは、吾猶人のごとし。必ずや訟え無から使(し)めんか」と、論語「顔淵第十二」13にある。
孔子は訴えを聞いてその是非曲直を裁判することは、人と同様で別に異る所はないという。もし自分と他人とで異る所があるとすれば、人心を正しくし、礼譲を教えて、その源を清くし、民をして訴訟して是非曲直を争ふことのないようにすることであると意味する。
「人心を正しくすることは本であつて、法律などによることは末である」と渋沢栄一はいう。恐怖して悦服(心から服従)のないものは効果のないものであるという。
常日頃から人の倫を外れるべきではないということなのだろう。人倫が身につけば、逆に訴えも起きないのだろう。
海外へ異動して間もないころ、雇ったばかりのスタッフが体調が悪いと訴えてきた。ちょうど生産現場で突発事故が発生し、その対処に右往左往しているときで、スタッフの訴えを後回しにして、20分くらいだろうか、放置していた。そのとき、現地人の上長に「もっとスタッフに配慮して」と、直接的な言葉を使って叱られた。それもみんなが見ている前だった。ハッとし、自分の落ち度を気づかされた。
論語の教え
之を道(みちび)くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免(まねか)れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格(ただ)し(「為政第二」3)
法にもって治安を維持しようと、刑罰を用いれば、民はその法や刑罰にひっかかりさえしなければ何をしても大丈夫だとなり、そのように振舞っても何も恥ずるところもなくなってしまう。しかし、逆に、道徳をもとにして、治安維持を礼(規範)をもってすれば、人々は心から不善を恥じるようになり、正しくなるという意味だ。
現代にも通じる、孔子の戒めに聞こえる。
「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」、 孔子が斉の景公に「政」を問われたときに、こう答えたという。
渋沢栄一によれば、「君が君たるの道を尽し、臣が臣たるの道を尽し、父が父たるの道を尽し、子が子たるの道を尽すのが、政事の奥義」との意味という。つまり、人倫を明かにするのが「政」の始まりと解く。
模範となる人倫や規範の例を見ることが少なくなっているのかもしれない。悪い例ばかりで悪影響ばかりが蔓延っているのだろう。
「参考文書」