「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【其の安んずる所を察すれば....】がっかりな衆院議員選挙の争点 ~ 炉辺閑話 #53

 

 新型コロナの拡大が驚くほどに収まっているが、その対策が衆院選の争点だという。

 一時、25000人を超えた新規陽性者数が急減している。英ガーディアン紙が、「日本では驚くべきことが起きた」と報じている。

日本のコロナ感染者数の急減は「驚くべき成功例」─英紙報道(Newsweek)

 Newsweekによれば、ガーディアン紙はその理由を断定していないが、2つの要因が影響した可能性があるとしてあげている。

 ひとつは、ワクチン接種の浸透、短期間に高い接種率に至ったことをあげ、もうひとつには、マスク着用の習慣をあげる。イギリスなど一部の国はいまだ高い水準のままにあるのに対して、日本が目覚ましい改善が見られるとしている。

 

 

 また、英国の別のメディアは、「データを比較すれば他のG7諸国よりも日本はおおむねうまくパンデミックに対処している」と評価し、日本は人口あたりのCTスキャナー配備数が世界で最も多く(100万人あたり111台を確保している日本に対し、イギリスでは9台に留まる)、他にも、ECMO(エクモ)の配備数や病床数が多いことも有利だと指摘しているそうだ。

 政治論争や報道、そればかりを聞いていると、つい、それに流されてしまうが、他国の状況と比較すれば、相対的だが、その善し悪しがわかる。

赤いものを見たら火事と思え、人を見たら泥坊と思え

 渋沢栄一が、「人が人と接するにあたって抱く心情には二つある」という。

 一つは、「何でも赤いものを見たら火事と思へ、人を見たら泥坊と思へ」といったような調子で、会う人ことごとく皆、自分に損をかけに来た人、自分より何か盗んでいこうとする人、自分を欺くために来た人だと思って接する心情で、もうひとつは、これと正反対で、会う人の総てを皆、誠意あるものとして遇し、自分もまた、誠意を披瀝してこれに接する心情があるという。

然し、赤いものを見さへすれば総て之を火事と思ふやうに、見るほどの人を悉く泥坊と思つて接することになれば、自分の心情にも亦誠意が無くなり、那個人は己れを瞞しに来たのだから、瞞されぬやうに一つ這個辺《こち》からも其裏を掻いてやれと、偽に接するに偽を以てし、巧言令色を迎ふるに巧言令色を以てするやうになる。

斯く互に瞞し合つて背後で舌を出してるやうにでもなると、世の中は全く治まりが着かぬ事にも相成、世道人心に悪影響を及ぼす事夥しく、世間の風潮が甚だ面白くないものになつてしまふ恐れがある。(引用:実験論語処世談 渋沢栄一記念財団

 

 

 政治の場におけるコロナ論争はこれに近いのかもしれない。

「赤いものを見さえすれば、総て之を火事と思え」

 落ち着き始めたコロナの状況で、今なお選挙の争点にするつもりなのだろうか。

論語の教え

「其の以(もち)うる所を視、その由(よ)る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや」と、「為政第二」10 にある。

「その人物の日常生活の現在をしっかりと視る。その人物が経てきた過去を観めみる。その人物が落ちつこうとしている未来の着地点を察する。そうすれば、その人物は自分を隠すことはできぬ。本当の姿が分かる」。

dsupplying.hatenadiary.jp

 栄一によれば、「視」も「観」も共に「ミル」と読むが、「視」は単に外形を肉眼によつて見るだけの事で、「観」は外形よりも更に立ち入つてその奥に進み、肉眼のみならず心眼を開いて見る事という。

孔夫子の論語に説かれた人物観察法は、まづ第一に、其人の外部に顕はれた行為の善悪正邪を相し、それより其人の行為は何を動機にして居るものなるやを篤と観、更に一歩を進めて、其の人の安心は何れにあるや、其の人は何に満足して暮して居るや等を知ることにすれば、必ず其人の真人物が明瞭になるもので、如何に其の人が隠さうとしても、隠し得られるものではない。(引用:実験論語処世談 渋沢栄一記念財団

 外部に顕れる行為だけが正しく見えても、その行為の動機になる精神が正しくなければ、その人は決して正しい人であるとは言えないと栄一はいう。

 また、外部に顕れた行為も正しく、これが動機となる精神もまた正しいからといって、その安んずる所が飽食暖衣逸居するに在りというようでは、時に誘惑に陥つて、意外の悪を為すようにもなるものである。故に、行為と動機と満足する点との三拍子が揃つて正しくなければ、その人は徹頭徹尾永遠までも正しい人であるとはいえないと、栄一はいう。

 

 

 紆余曲折はあったのかもしれないが、結果としては、他の国々よりも早く収束するに至った。これをどう維持するか、選挙の争点抜きにして考え、対応すべきことではなかろうか。コロナ対策は競い合うことではなく、どちらが政権をとろうが、是々非々で対応すべきことなのだろう。

 日本のコロナ対策を報じた英国の両紙とも、冬場の再流行に懸念を示しているという。年末年始は酒席が続きがちとなり、再発要因のひとつになりかねないとNewsweekは指摘する。論争が続けば、人々の関心が薄れることが無く、警戒心が続き、抑制効果があるのかもしれない。ただそれでいいのだろうか。

 意図を理解できないわけではないが、選挙の争点はもっと他にないのだろうか。論点の形成をもう少し考えた方がいいのかもしれない。