パラリンピックの選手村で巡回バスとして利用されているトヨタの自動運転車「e-Palette(eパレット)」が事故を起こし、運行を中止したといいます。
この事故で、柔道 視覚障害の北薗選手が転倒、頭などに全治2週間のけがを負ったといいいます。出場予定だった試合は欠場することになったそうです。
絶対にあってはならない事故。それに自動運転が関わっているのなら、なおさらではないでしょうか。豊田章男社長は謝罪し、事故の原因は調査中としたといいます。
豊田社長によると、事故は車両がT字路を右折する際に起きた。曲がる前の直進は自動運転で走行し、横断歩道前でいったん停止。その後、乗車していたオペレーターのマニュアル操作で再スタートした瞬間に接触したという。「スピードにして(時速)1、2キロ。時間にして1、2秒の間に接触が起こった」と語った。 (出所:ロイター)
「e-Palette(eパレット)」の開発に携わった人たちにとっても、たいへんショッキングなことだったのではないでしょうか。
徹底的に原因を分析し、その対策を講じる。断じて妥協はない。
他の報道では「交通誘導の警備員を感知し停止した」とあり、また「接近を知らせる音量をこれまでの2倍にするなどの対策を講じる」との報道がされていることからすれば、人為的な操作ミスということが1次原因ということなのでしょうか。仮にそうであれば、なぜ操作、判断ミスがおこったのか。安全確認が不十分で再スタートした前提でなぜ再停止することができなかったのか、操作、判断ミスがある前提での予防策、再発防止などが徹底的に検証され、安全対策を再構築することになるのでしょうか。
失敗という厳しい試練、しかし、そこでしか得られない知恵がある
「失敗と苦難からしか得られない知恵があります」とサミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説きます。
何がうまくいかないのかわかってはじめて、逆に何がうまくいくのか発見することが多いものです。
失敗したことのない人間が何かを発見したなどということは、古今東西なかったのではなかったのではないでしょうか。
(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P150)
蒸気機関のワットも、機械工学でもっとも必要とされるものは、これまでの失敗の歴史を書いた本だと述べていたそうです。
偉大なものごと、偉大な思想、発見、発明などは困難のなかで誕生し、悲しみのなかで温められ、最後に、たいへんな苦労のなかで一人前に成長して世に送り出されるものなのです。(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P151)
「失敗と苦難はきびしい試練だが、そこでしか得られない知恵がある」
我々には、過去の汚点の歴史が必要だ
想定通りにいかないから、事故が起きるのでしょうか。失敗を教訓しなければなりません。
ロイターによると、豊田社長は、車両に搭載された自動運転技術について、「パラリンピックという特殊な環境の中で、目の見えない方もおられれば、いろいろと不自由な方もおられる。そこまでの環境に対応できなかった」と説明し、「普通の道を普通に走るのはまだ現実を帯びていない」と語ったといいます。
中国は自動運転の先進地になり、つい先日も上海市浦東新区で、客を乗せた自動運転バスのテスト走行が行われたといいます。
JETROによれば、滴水湖を一周するテスト走行が行われ、ルートは8.5キロ、停留所は8つあり、1周するのに約30分かかるそうです。テスト走行用の道路ではさまざま情報源を活用して交差点の通行効率を引き上げ、歩行者の安全性を確保しているといいます。
また、米国ではアルファベット傘下の自動運転スタートアップWaymo(ウェイモ)が、サンフランシスコで限定利用者向けにロボタクシーサービスを始めたといいます。
TechCrunchによれば、利用は無料で、セーフティドライバーが運転席に同乗、運行状況の監視と安全の確保を行うそうです。また、利用者は利用に関する詳細なフィードバックを数多く返すこと、また守秘義務契約に署名することになるといいます。
大きな市場を獲得しようとみなが競争する。それはそれでよいのでしょうが、自動運転である以上、絶対に安全は蔑ろにすることは出来ないはずです。
「我々には、過去の汚点の歴史が必要だ」とスマイルズはいいます。
競争することばかりに専念するのではなく、失敗を共有することができれば、もっと早く安全な自動運転システムの実用化ができるのかもしれません。
学を好めり。怒りを遷さず、過ちを弐びせず
論語「雍也第六」3にあることばです。若死にした弟子の顔回を回想した言葉です。
その顔回は、「いつも修養に努め、八つ当たりなどせず、同じ過ちを繰り返すことがなかった」といいます。
桑原武夫によれば、「怒りを遷さず」というのは新注では、甲への怒りを乙に移さない、つまり八つ当たりはしないといことになるそうですが、ここでは古注に従って、正当な理由があれば怒りはするが過度にならず、またその方向づけを誤らない、という意味にとっておきたいといいます。
進歩がある以上、失敗が無くなることはないのでしょう。その反応の方向を間違えず、同じ失敗を繰り返さないようになれば、進歩ということなのでしょう。
さて、コロナ対策はどうなのでしょうか。東京はピークアウトに向かっているようですが、全国ではあまり事態が好転していないようです。同じような過ちをいつまで繰り返えせば、気づきを得られるのでしょうか。