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【正直こそ財産】名古屋入管、なぜ仕事だと非人道的なことまでできてしまうのか

 

 千葉での起きた不幸な出来事、30代の妊婦が入院できずに自宅で早産して新生児が死亡したことを受けてのことか、全国各地で妊婦の優先接種が始まっているようです。ひとつの出来事が教訓になったのでしょうか。

 しかし、対処だけではまた同じような不幸なことがいつ再発するかわかりません。なぜこのような不幸な出来事が繰り返し起きるのか、そこを深堀りしていかないと問題は根絶されることはないのでしょう。

 

 アフガニスタンから国外退避する市民らを運んだ米軍機内で、アフガニスタン人の妊婦が産気づき、着陸後に無事女の子を出産したといいます。

 朝日新聞によれば、アフガニスタン人を乗せドイツに向かっていた米空軍の輸送機の中で、妊婦が陣痛を訴えたといいます。妊婦が合併症を起こし始めたため、機長の判断で、高度を下げて飛行、機内の気圧を上げて、妊婦の状態が安定するよう努めたといいます。

同基地に着陸後、すぐに医療班が到着して介助し、妊婦は機内の貨物室で無事出産した。母子は近くの医療施設に搬送され、ともに経過は良好だという。 (出所:朝日新聞

www.asahi.com

 救える命もある、心安らぐニュースもあります。称賛に値する機長の臨機応変な判断だったということなのでしょう。

 

 名古屋入国管理局の施設でスリランカ人女性が亡くなる痛ましい事件がありました。

 ニュースの内容がどこまで真実を伝えているかはわかりませんが、開示されている事実を照らし合わせると、見えてくるものがあるのでしょうか。

最終報告書」には、亡くなる5日前の3月1日、ウィシュマさんがカフェオレを飲もうとしたところ、うまく飲み込めずに鼻から噴出してしまう様子に、「鼻から牛乳や」と職員が発言していたり、亡くなった当日でさえ、反応を殆ど示さないウィシュマさんに対して「ねえ、薬きまってる?」などと発言していたと記されていた。

だがビデオを見たご遺族は、他にもウィシュマさんの尊厳を傷つけるような発言があったと指摘する。ベッドの上で、自力で体を動かせないウィシュマさんを介助しようとした職員が、「重いですね」「食べて寝てを繰り返しているから太っている」と馬鹿にしたように笑う場面もあったというのだ。

記者会見に臨んだウィシュマさんの妹、ポールニマさんは、痛がっているウィシュマさんに対し「手や足を引っ張ったり、まるで動物のように扱っていました。姉にこのような扱いをしたのであれば、他の外国人にも同じことをするのでは」と憤る。

ここで働く人間には心がないのでしょうか?」。 (引用:プレジデント)

president.jp

 プレジデントによれば、国連人権理事会の「恣意的拘禁作業部会」が、こうした実態を「国際法違反」と指摘しているといいます。それ以前から、国連の「拷問禁止委員会」などの条約機関からも度々勧告を受けているそうです。

 仕事だからといって、こうした行為が繰り返されることに戦慄を覚えます。

 

職業が人をおとしめるのではありません。人が職業をおとしめるのです」とサミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説いています。

 さらに、人を汚すのは肉体の汚れではなく、心の汚れ、泥ではなく貪欲、鉄の赤さびではなく、心にはえる黒いカビなのですといいます。

偉大な人間は、正直で、世の役に立つ仕事をして生活の資を得ることを軽蔑することはありません

 スマイルズは、いつの時代にも、良心のかけらもなく、極端なエゴイスティックな輩があからさまな不誠実な手段に出る例があるといいます。

 手抜きをする請負業者、穴のない針を売る商人、粗悪品のなまくら剃刀を売る者など実に様々な悪人がいて、しかし、これらは例外的な存在と考えるべきといいます。

律儀なまでに良心的な人が、自分に甘く不正をも厭わない人に比べて、そんなに早く裕福にはならないかもしれません。

しかし、そのような人が他人を騙すこともせず、理不尽な手段にも訴えずに得た成功は本物です。たとえ一時的に成功に恵まれないとしても、あくまで正直であるべきです。すべてを失っても、よき名だけは残さなければなりません。

正直者という評判こそが財産なのです

そして、そのような高い志を持った人が勇気をもってあくまでもわが道をいけば、成功はきっとついてきます。 (引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P113)

 

 入管には入管の大義があるのでしょう。その大義に照らし合わせ、管理職が非人道的な行為を職員に強いているのでしょうか。仮にそうであれば、疑問を感じることはないのでしょうか。職員は臨機応変な対応は出来ないのでしょうか。入管を管轄する法務省、そして、法務大臣はなぜこうした現実に目を閉ざしたままで、いられるのでしょうか。それが仕事だから仕方がないと考えてしまうのでしょうか。

 「職業が人をおとしめるのではありません。人が職業をおとしめるのです

 スマイルズが正直を強調するのもわかるような気がします。仕事、職業という名を借りて、我慢をしていたり、自分を誤魔化しているのかもしれません。

 母の介護をして感じることがあります。何気ない、きつい一言に腹を立てることもあります。それが毎日続けば嫌にもなり、逃げだしたくなります。しかし、そうもできないと思うと、感情が爆発しそうになります。母を諭して、その性格を何とかしたいと試みてはみるものの、年老いた母にはもうそれも無理なことかと、それを受け入れるしかないかなと諦念に至るしかありません。とはいえ、まだまだ道理を悟ったまでは至っていません。繰り返される解脱に辟易することさえあるので。

「諦念」とは、道理を悟る心。真理を諦観する心といい、あきらめの気持、断念ともいいます。

 何かに固執したり、執着することを諦めると、見えて来るものがあるのかもしれません。それが真理だったりするのでしょうか。そして、それが正直な心、素直だったりするのでしょう。