斉人(せいひと) 女楽(じょがく)を帰(おく)る。季桓子(きかんし) 之を受け、三日 朝(ちょう)せず。孔子行(さ)る。(「微子第十八」4)
(解説)
「隣国の斉は女歌舞団を魯国に贈った。季桓子はそれを受け、三日間も政庁に現れなかった。孔子は祖国を立ち去った」。(論語 加地伸行)
孔子が魯の執政となり、国が富強となり、斉国はそれを憂慮し、女性歌舞団80人を贈ったいう。実質支配者であった季桓子はその芸に魅せられ、登庁しなくなり、孔子が祖国魯を去り、ここから孔子学団の流浪の旅が始まると加地は解説する。
「紀元前497年に官を辞し、弟子とともに諸国巡遊の旅に出た。国政に失望したとも、三桓氏の反撃ともいわれる。以後、孔子は13年の間、諸国を転々とする」とWikipediaにある。 孔子56歳の時とされる。
(参考文献)