季康子問う。弟子 孰(たれ)を学をか好むと為すか。と。孔子対(こた)えて曰わく、顔回という者有り。学を好めり。不幸 短命にして死せり。今や則ち亡(な)し、と。(「先進第十一」7)
(解説)
「季康殿が問われた。「弟子の中で、誰が学問を好んでいるか」と。孔子はこう答えた。「顔回と申す者がいます。学問を好んでいます。しかし、不幸にも短命で亡くなりました。もはやこの世におりませぬ」と。」(論語 加地伸行)
孔子最愛の弟子顔回(顔淵)が死んだのは、孔子61歳、顔回本人32歳のときと言われる。人の寿命が短かった古代だったが、孔子にとって顔回の32歳の死は短命に感じられたのかもしれない。
「雍也第六」 3にも同じ内容がある。魯の君主「哀公」に「弟子 孰(たれ)をか学を好むと為す」と問われ、孔子は同じ内容で答える。
「今や則ち亡し」というのは、孔子の痛恨を示しているという。「死せり」と「亡し」、二回繰り返しているのが、その表われと桑原はみている。
(参考文献)