子 釣(ちょう)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿を射ず。(「述而第七」26)
(解説)
「孔子は、竿一本で釣りをなさり、けっして長縄での寄せ釣りはなさらなかった。また、飛ぶ鳥には、弋獲(いぐるみど)りなさるが、木に止まっている鳥には射かけられなかった。」(論語 加地伸行)
この章は、孔子が何事においても極端に走らず、常に中庸の心情をもって万事に処していたことを示すものだと、渋沢栄一は解説する。
孔夫子は網を打って魚を漁るやうなことをせられなかったからとて、絶対に魚を漁らなかったというのでは無く、一尾づつ釣竿を垂れて魚を釣り、これを祭りの用に供したり、或は食養にせられたりしてはおられたのだ。
また、狩猟なぞにおいても同様で、絶対に猟をしなかつたというのでは無い。矢を弦に懸けて射る「弋」はせられたが、栖(す)に宿ってる鳥を撃ち取るやうな事はせられなかったというのである。かくの如く、一切殺生をせぬでも無く、また殺生をせられたからとて、無闇矢鱈に漁猟を行はず、その間にチヤンとした節度があって、魚を漁るにも釣に止め、鳥を射るにも栖に宿まっておらぬものに限られたといふところに、孔夫子の面目が躍如として顕われてるやうに想われる。 (参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団)
孔子が生きた2500年前には、もう生態系や自然を保護を説いていたことに新鮮さを感じる。しかし、こうした教えが貫徹されずにきたということなのだろう。
この間、どれだけの種が絶滅し、どれだけの自然が破壊されてきたのだろう。
(参考文献)