長期化するイラン戦争が、私たちの「生存」を脅かしています。政府が医療用手袋の備蓄放出を決め、TOTOが納期遅延を抱えながらも受注再開に踏み切る——。
忍び寄る「事実上の計画経済」
こうしたニュースの裏にあるのは、自由市場が「資源の欠乏」によって機能不全に陥り、政府が「何を優先すべきか」を差配する**「統制経済」**への入り口に差し掛かっているように見えます。
TOTO、ユニットバスの受注を4月20日から再開へ - 日本経済新聞
「政府が手袋を配らなければならない」という事態は、もはや資本主義が通常運転ではないことを示唆しています。この「欠乏」と「奪い合い」が、人々を他者排除的な「選民ファシズム」へと向かわせると斎藤幸平氏の新著『人新世の「黙示録」』は警告しています。
高市政権が掲げる「経済安保」や「強靭化」の政策は、一見すると国家を守る強固な盾に見えます。しかし、その力強いアクセルが「強者のための資源争奪」へと偏るリスクも孕んでいるのではないでしょうか。TOTOの受注再開も、実は「限られた資源を誰が手に入れるか」という選別の始まりではないのか。医療、インフラ、住まい。これらを商品(利潤の対象)として扱うことの限界が、このインフレと戦争によって露呈しているようにも見えます。
生存のための民主的計画経済
近年の記録的な暑さを受け、気象庁が、最高気温が40度以上の日を「酷暑日」と名付けました。これを単なる異常気象の呼び名と考えてはいけません。これは、**「従来の社会システムが壊れた証」**なのです。
気温40度以上は「酷暑日」 気象庁が新名称、暑さリスク明確に - 日本経済新聞
「酷暑日」。近い将来、個人のエアコン(私財)だけでは命を守れない時代が到来すると予感させます。石油の供給不安、電気代が高騰する世界で、冷房を「生存のための共有財」として民主的に管理・運営する発想が必要ではないのか。

市場に任せるのではなく、限られた資源を「民主的な計画」に基づいて分かち合う。「国に管理されるのではなく、自分たちで管理し直す」、そんな発想が、「地獄のような苦境」を回避する唯一の道になるのかもしれません。
まとめ
寡(少な)きを患(うれ)えずして、均(ひと)しからざるを患え、貧しきを患えずして、安からざるを患う。(「季氏第十六」1)
物資が乏しいこと(寡き)を嘆くのではなく、それが不公平に配分されること(不均)を正す。貧しさを恐れるのではなく、社会の秩序が乱れ、人々が安らかでいられないこと(不安)をこそ恐れるべきである――。
論語のこの言葉は、インフレや資源不足など「多重苦」に直面する現在の私たちへの、最も鋭い忠告ではないでしょうか。「いつ何がなくなるかわからない」という資源が限られていく時代、私たちが求めるのは、誰かを排除して手に入れる「贅沢」ではなく、共に分かち合うことで得られる「安らぎ」ではないでしょうか。
一方で、「できない理由」を並べるのではなく、この苦境に抗い、徹底的に追求し、イノベーションを加速させるというチャレンジも必要です。なぜなら、これが物価高という問題を解消するからです。しかし、野放図な競争は「奪い合い」や「格差」が加速するリスクがあります。ここに論語の思想を取り入れれば、**「テクノロジーで豊かさを生み出し、それを民主的に分かち合う」**という、より強靭で安らかな社会像が見えてきます。
テクノロジーで資源を安価に『作り(アバンダンス)』、それを奪い合わずに『分かち合う(コモン)』。この両輪が揃って初めて、私たちは石油の暴力から解放されます。そして、その時、日本の逆転劇が動き始まるのかもしれません。「資源を持たない国」という宿命を、自らの手で書き換えることになるのです。
「参考文書」
気候危機と戦争の先に待ち受ける「終末ファシズム」~世界の終わりは始まっている(東京大学大学院准教授・斎藤幸平):時事ドットコム
厚労相「一部医療機関で手袋確保困難」 5月に備蓄放出 - 日本経済新聞

