「エプスタイン問題」で、欧米の政財界に激震が走っています。 世界経済フォーラム(WEF)のボルゲ・ブレンデ総裁が辞任に追い込まれ、。経済学の巨人ローレンス・サマーズ氏もまたハーバード大学を退任しました。
サマーズ元米財務長官、ハーヴァード大学を退任へ エプスティーン元被告の調査めぐり - BBCニュース
サマーズ、アクセル、ゲイツ各氏は、元被告の被害者らから不正行為に問われていない。また、元被告の犯罪に関与していたことを示す証拠も見つかっていない。(出所:BBCニュース)
注目すべきはその「速度」と「徹底ぶり」です。彼らは、たとえその知性がどれほど稀有なものであっても、組織の「信(信頼)」を汚す存在となった瞬間に、永久に切り離されたのです。そこに「代わりがいない」という情けや、「功績に免じて」という猶予は存在しません。
1. 欧米の「非情な自浄」という進歩
欧米がなぜ、これほどまでに潔く、あるいは強制的にリーダーを去らせるのか。
欧米のシステムにおいて、リーダーの退場は「休憩」ではありません。システムの信認を維持するための「切断」です。一度失ったTrust(信頼)は二度と回復できないという共通認識が、個人の功績よりも優先される。この非情なまでの合理性こそが、組織を「進歩」させ続ける防波堤となっています。
2. 日本の「情緒」という名の停滞
翻って、日本の政治風景はどうでしょうか。 高市首相は裏金事件に関与した議員らについて、「人事に影響はない」「適材適所で仕事をしてもらう」「しっかり働いてもらう」といって要職を与えました。
自民選対委員長に西村康稔氏 旧安倍派、松野博一氏も要職:時事ドットコム
また、首相自身にも政治資金や旧統一教会との接点、カタログギフト配布などの追及が続いています。しかし、そこには欧米に見られるような「潔い退場」の気配はありません。 「代わりがいない」「気の毒だ」「これから働いて返せばいい」。 こうした情緒的な理由で、腐食したパーツを使い続けようとする。この「甘え」の構造こそが、制度としての「退化」の分水嶺となっているのではないでしょうか。
3. リーダーの資格を問う――「文」と「質」の不可分性
私たちは、この日欧米の決定的な差異をどう捉えるべきでしょうか。論語は、現代の私たちにこう問いかけています。
「棘子成(きょくしせい)曰わく、君子は質のみ。何ぞ文を用いん。子貢曰わく、惜しいかな、夫子(ふうし)の君子を説くや。駟(し)も舌(した)に及ばず。文はなお質のごときなり。質はなお文のごときなり。虎豹(こひょう)の鞟(かく)は、なお犬羊(けんよう)の鞟のごときなり」(「顔淵第十二」8)
「人柄(質)さえ良ければ、教養や能力(文)など不要だ」と説いた棘子成に対し、子貢はまず**「駟(し)も舌(した)に及ばず」**―「一度口から出た言葉(失言や不祥事)は、四頭立ての馬車で追いかけても取り消せない」と厳しく戒めました。その上で、子貢は説きます。「文と質は表裏一体である。虎や豹からその美しい模様(文)を剥ぎ取ってしまえば、残った皮は犬や羊の皮と区別がつかない」と。
この「能力があるなら、過去の汚れは仕事でカバーできる」という論理に対し、論語は二千五百年前に既に引導を渡しています。どれほど実務能力(文)を誇示しようとも、リーダーとしての倫理的信頼(質)を欠いた者は、もはや「君子」ではありません。模様を失った虎がただの獣であるように、信頼という「質」を失った政治家が「能力(文)」だけを盾に居座ることは、リーダーの定義そのものを破壊する行為なのです。これは現代の日本への鋭い刃です。
多くの人が「仕事をしてくれればいい」と好感したとしても、そのリーダーが国家の「信」を損なう存在ではないか。その人事は、国家の未来に対する「遠慮(遠き慮り)」を欠いたものではないのか。
【結びに:残された問い】
欧米のリーダーたちは、自らの「質」に疑義が生じた瞬間に、その地位(文)を捨ててシステムへの「信」を守りました。 一方、日本のリーダーたちは、模様の剥げ落ちた皮を「適材適所」という言葉で飾り立て、権力に留まろうとします。
「駟も舌に及ばず」。 失われた信頼は、どれほどの政治的業績を積もうとも取り戻せるものではありません。
私たちはいつまで、欠陥を抱えた「適材」という名の欺瞞を受け入れ続けるのでしょうか。主権者が「文と質」の両立を求めなくなったとき、この国の政治は、本当の意味で「犬羊(凡庸)」の群れへと退化していくのかもしれません。
「参考文書」
自民党に「高市派」の萌芽? 2024年総裁選の推薦人ら相次ぎ国政復帰 - 日本経済新聞

